ぼんやりと個展前


 
「今回こそは本当にだめかもしれない…」
律儀なくらい毎度毎度、必ず落ち込む個展前。
それでも絵というものは、時間がくれば仕上がるものなのだなぁとつくづく思う。
 
今回は19枚のタブローを描き、珍しく自分で簡単な額装もした。
粗野な額に収まった絵はむき出しだったときに比べ、
何故かこれから古くなる姿をより想像させた。
まるで古びる準備を済ませたかのようにも見えた。
 
明日の搬入に備えて絵を送ってしまうと、アトリエは急にがらんとして、
まるで込み入った夢からようやく目覚めたような、ひどくぼんやりした気分になった。
明朝、大阪からバスに乗って金沢へ向かう。
どんな音楽を聴きながらゆこうかね。
オヨヨ書林せせらぎ通り店にて『古本屋エレジー』は木曜日から始まる。
 
店主の奈津さんと電話。まだ少し寒いから、重ね着できる服で来てくださいとのこと。
お越しになる方、どうぞ暖かくしておいでください。

 


◉個展『古本屋エレジー』
金沢はオヨヨ書林せせらぎ通り店にて、3/21(木/祝)より始まります。
3月の在廊は21日(祝/木)、23日(土)、24日(日)の終日です。
久しぶりに全作描き下ろしの絵が並びます。ぜひお立ち寄りください。
 

 
『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)
ただいま京都のnowakiにて原画展を開催中です。4/1まで。
僕の原画は販売もしています。(売り上げの10%は震災関連の支援に寄付されます)
錚々たる執筆陣の原画がまとめてご覧いただけます。ぜひ。
 
フリーペーパー『鷗』1号
各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです

KIRIマルシェ


 

 

 

 

 
 
 
この週末は京都府亀岡市で開催されたKIRIマルシェに参加した。
普段はあまり顔を出さない”マルシェ”だけれど、
ディレクターの鷹取さんからお誘いと共に送られてきた納屋の写真を見て、
ここに絵を飾れるなら、と参加を決めた。
 
電車から見た保津峡の霧と、亀岡駅に降り立ったときの寒さは印象深く、
ほんの数時間で異郷に来た気持ちがした。
会場となるKIRIカフェ周辺は小さな農村で、長閑で美しい。
近所から来たという学生さんは「本当に何もないんです。」と嘆くけれど、
この風景を前にすると「何でもありすぎる」ことの危うさを顧みずにはいられない。
 
二日間のマルシェは初日は快晴、二日目は時節雨がぱらつくも、なんとか持ちこたえた。
出会いも多く、嬉しい感想もたくさん頂いた。
納屋の中で絵がとても居心地良さそうに過ごしている様子を見ていて、
自分の絵の落ち着く場所はギャラリーではないのだろうなぁ、と改めて思った。
蓄積した時間と土の匂い。窓から差し込む陽の光。
それらは結局、僕が絵の中で求めているものに他ならないのだ。
 
KIRIマルシェは21年に開催予定の「かめおか霧の芸術祭」に向けて、
これから定期的に行われるという話だ。
素晴らしいロケーションと心あるスタッフたちの働きを見て、
今後より一層深まりを見せていくだろうと確信した。
ぜひこれからも関わっていけたらと思う。
 
お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
スタッフの皆さん、お疲れ様でした。大変お世話になりました。
また霧を抜けて会いに行きます。
 


 
『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)、3/6に発売です。ぜひ書店にてご注文ください。
 
◉個展『古本屋エレジー』、近づいてまいりました。3/21(木/祝)より始まります。ぜひお越しください。
 
フリーペーパー『鷗』1号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 
iTohen<昼の学校><夜の学校>来月は3月14日(木)の開催です。
初心者のためのクラスです。ぜひお気軽にご参加ください。

あの日からの或る日の絵とことば


 
昨日は1日だけ営業活動のために東京に居た。
火曜の夜にバスで東京に向かい、
いつも通り銭湯で朝風呂に入ったあと、
出版社やデザイナーの方に絵の持ち込みをして回り、
そのまままた夜行バスに乗って小雨降る神戸に戻った。
 
昼まで休もうと布団を敷いて寝ていると、
「あべさーん」とヤマトのおじさんに起こされて、
小さなダンボールの包みを受け取る。寝ぼけてお礼を言いそびれる。
『あの日からの或る日の絵とことば』がようやく届いたのだ。
すると玄関の扉を閉めたと同時に、窓の外に黒い影が現れ「にゃー」と僕を呼んだ。
 
仲良しの野良猫「しーちゃん」は、
この冬からもっぱらうちで寝起きをするようになった。
それでも基本は野良猫なので、トイレも外だし、朝晩問わず好きに出入りをするから、
家を空けるときは外に締め出さなければならなくなる。
今の季節は寒かろうと思って、
僕は泊まりで家を空ける度にしーちゃんのためのダンボールハウスを制作するのだけれど、
今のところほとんど使っている形跡がない。
きっと猫なりのもっと賢い屋外の夜の越し方があるのだろう。
 
二晩ぶりの再会で、いつも以上に甘えるしーちゃんを膝に乗せながら、
『あの日からの或る日の絵とことば』を読む。
32人の絵本作家が絵と言葉で振り返る東日本大震災のこと。
それから続いていく日々のこと。
 
「震災についての本を出すので絵と文章を書いてくれませんか。」
筒井さんからの依頼は、わかっていたけれどやはり大変な仕事だった。
絵が浮かばないので、まずは文章を仕上げることに決めたのだけど、
いったい何について書くべきなのかがわからない。
これを書かなければと筆をとれば、
いやこれを書くならばこのことにも触れなければと逡巡し、
はたまたこれをこんなに軽く扱って良いものかと悩み、
そもそもこれを書く資格が自分にあるのだろうかと落ち込む日々。
たった1200字の中で全てを書ききることは無理だとわかりながら、
どの出来事も容易に切り捨てられるようなものではない。
膨らむ字数に途方にくれながら、僕は未だにあのときのことを捉えられていないのだと知った。
 
何度も何度も書き直し、最終的に出来上がったのは「故郷の喪失」についての文章だった。
これは僕の創作、もといアイデンティティに関わる(たぶん最も)重要なテーマだ。
幼少期を過ごした新興住宅地についての記述は、
僕ら世代には似たような経験を持つ人も少なくないと思うが、どうだろう。
正直なところ、伝えたいことを表現し切れた自信は、こうして読み返している今も湧いてはこない。
でもそれで良い、と言い聞かせる。
やりきった、と思えないこともこの仕事に対するひとつの答えなのだ。
一人で答え切れるものでないからこそ、これだけの人が集められたのだから。
 
今回の原稿で僕は「死」というものに直接触れていない。
触れたくなかったのではなくて、触れることができなかったのだ。
あれだけの人が亡くなった震災を、「死」を置いて語ることはできないと思った一方で、
それを語るに僕はあまりに「死」を知らないと思ったのだ。
そんな執筆時に生じた無力感を救ってくれたのは、
まさしく今しがた読んだ、同じく執筆者の坂本千明さんの文章だ。
坂本さんとはほとんど挨拶程度しか交わしたことがないし、
お話に出てくる方々は一人として知らないのだけれど、
坂本さんの言葉は僕の抱える見えない不安をすっと掬い取ってくれたような気がした。
この本が読まれ始めれば、きっとこういうことがたくさんの人の上で起こるのだろう。
 
あれから8年が経ち、東京から神戸に越して3度目のこの冬、
僕は生まれて初めて自らの膝の上で猫が眠ることの幸福を知った。
今まで猫と暮らした経験のない僕にとって、それはひとつの事件だった。
膝の上でぐなぐなと丸まったり伸びたりする猫の柔らかさ、暖かさや、
小さく浮き沈みする背中は、「生」の尊さと壊れやすさをそのままかたちにしたようだ。
今もしーちゃんのおなかを撫でながら、
これからもこうやって不安と希望に挟まれながら時は過ぎてゆくのだなぁと思いに耽ている。
もうすぐまた3月11日がやってきて、そしてすぐに僕は33歳になる。
先輩方の絵や文章を見ながら、もし10年後に同じ依頼がきたとして、
もうちょっと確かなことが書けるか、描けるだろうかと考えてみる。
そして、いやいや10年先のことなんて何一つ予想できないと学んだだろう、と慌てて思い直す。
本当の本当は明日だってわからないんだぜ。なあ、どうするよ、しーちゃん。
寝ているしーちゃんは、ちょっと鬱陶しそうに高い声で鳴くだけだ。
 
さあ、そろそろ夕ご飯の支度でもしようか。
腹が満たされたなら、また春に向けて絵を描こう。
あの日からの或る日はまだまだ続いていくようだから。
 


 
『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)、3/6に発売です。ぜひ書店にてご注文ください。
 
◉個展『古本屋エレジー』、オヨヨ書林にDMが届いたようです。もうすぐに配布できるかと。
ぜひ春の金沢へお越しください。
 
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初心者のためのクラスです。ぜひお気軽にご参加ください。

古本屋エレジー


 
約半年ぶり。久しぶりの個展が、
金沢はオヨヨ書林せせらぎ通り店にて3/21(木/祝)より始まります。
全作描き下ろしの作品を展示販売します。
タイトルは『古本屋エレジー』です。
 
オヨヨ書林せせらぎ通り店では過去に二度の展示をさてもらったが、
どちらも本の出版記念の展示だったので、
全作描き下ろしの展示は三度目にして初めてだ。
古本屋なので、本や言葉をテーマに展示を企画しようと思っていたところ、
たまたま店主の奈津さんが書いたお店についての文章を読む機会があり、
その文章に心惹かれた僕は、奈津さんの言葉を絵の題材にすることを思い立ち、
一緒に展示を作ってくれませんか、とお願いをした。
 
年末、ちょうどクリスマスで街が賑わっている頃に金沢を訪ねて、
お店が閉まった後、焼き鳥をご馳走になりながら、
お店や本についてインタビューをさせてもらった。
奈津さんはとてもとても優しい人で、
いつも展示の際にはこちらが恐縮するぐらい、本当に色々とお世話してくれる。
車に乗せてもらって遠くに餃子を食べに行ったり、
(第7ギョーザというとてもおかしくておいしいお店がある)
温泉に連れて行ってくれたり、お家に泊まらせてもらったり。
そんな中でお店や本の話はいくらか聞いてきたけれど、
この日はそんな友人同士の会話とは違う、
ひとつの仕事を共に遂行するパートナーとして、古本屋の店主の話を改めて聞かせてくれた。
 
伺ったエピソードはどれも珠玉のごときもので、
古本屋というのはこれほどまでに多様な人生が交差する場所なのかと驚いた。
「あ、そういえばこんなことがありました。」
数珠つなぎに辿られる、忘れられない本や思い出深いお客さんとのやりとり。
そのほとんどの話が哀切なトーンを帯びていたことが、
店主のやさしい人柄をそのまま象徴しているようだった。
あまりにプライベートな内容なのでここに記すことはあきらめるけど、
奈津さんの古本屋は、まるで社会の流れからこぼれ落ちてしまいそうな人たちが、
自然と身を寄せるような場所になっているのかもしれない。
僕はまるで1冊の私小説を読んだような満ち足りた気分のまま、バスに揺られて神戸に帰った。
 
もしかしたら、僕は奈津さんの中にある何かの栓を引き抜いてしまったのかもしれない。
年が明けてからも、次々と新しいエピソードがメールで届けられた。
掌に乗るようなほんの小さな話もあれば、何度かに分けて送られてくる長い話もある。
僕は今、それらを自分の中で一度咀嚼して、
そこから新しいイメージをつかもうと試みている最中だ。
エピソードは合わせ鏡のように反射している。
その一番向こうに何が映るのかを僕は見たいと思う。
 
 
『古本屋エレジー』
会場: オヨヨ書林せせらぎ通り店
会期: 3/21 (木/祝) – 4/14(日)月曜休み
時間: 11:00-19:00 ※最終日は16:30まで
在廊予定日: 3/21(木),23(土),24(日), 4/13(土),14(日)
 


 
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400才のサメの部屋には絵が掛かっている


 
少し時間が経ってしまったけれど、
先月末に公演が無事終了した彫刻とダンスの舞台『400才』(荒悠平・大石麻央)について、
舞台の感想というより、関わった美術の仕事を通して考えたことを書き留めておく。
 
「400才のサメが暮らしている部屋を作ろうと思ってるんだ。
そこに絵を飾りたいんだよね。」
昨夏、夜の神保町の喫茶店で、友人からのそんな一風変わった依頼を聞きながら、
「これはなかなか良い仕事だなぁ…」という想いがじわじわと湧いてきたのをよく覚えている。
何が良いかって、400年も生きた者が家に絵を飾っているとしたら、
それは絵描きにとってなんて希望に満ちた話なのだろうと思ったのだ。
 
400年。
それはつかめそうでつかめない、現実と非現実のちょうど間くらいの長さに思える。
どちらにしても長い時間だ。
昨年北極海で発見されたという齢400才のサメに友人が惹かれたのは、
もしこれだけ長く生きねばならない人生(サメ生)があるとしたら、
いったいどんなものかと想像せずにはおれなかったからだろう。
 
400年。
どんな感じなのだろう。
友達と久しぶりに会って、200年くらい前のこととか、話すんだろうか。
100年ぶりに好きな小説を読み返したり、するんだろうか。
想像するだけじゃ物足りなくて、サメになったつもりで考えてみる。
サメの偽物になって、生活をしてみる。
1年は長く、10年は短い。
泳ぐことにも、歩くことにも、飽きる。
毎日は静かに過ぎる。
笑ったり、泣いたりは、続けている。
いつのまにか、400年が経っている。

(『400才』概要より)
 
劇中、サメをとりまく時間はとてもゆっくりと流れていた。
極端に長い時間をかけてコーヒーを淹れる。
壊れた椅子や机で遊ぶ。用のない手紙を書く。自作の歌を歌う。
僕はそのひとつひとつの行為の背景に、
「別れ」や「喪失」をどうしても想像してしまう。
 
そんなサメの部屋に絵が掛かっている。
買ったのか。貰ったのか。
いったいどんな経緯で絵が飾られたのだろう。
なんだかとぼけたような顔つきのサメだけれど、
400年という歳月はそれだけで十分彼を賢者たらしめる。
きっと僕らより色々なことをわきまえているのではないか。
だから意味も理由もなく、ただ賑やかすためだけに絵を飾ったりなんてしないだろう。
ある日、あるとき、何かの必然があって彼のもとに絵がやって来たのではないか。
悩んだ末、僕はサメの故郷の景色を描いた。
本当の故郷は遠くとも、代わりに故郷を回顧できるようなイメージを生活の傍に置く。
それはなんだか真っ当な絵のあり方のようにも思えた。
 
絵は美術館にあるものだと勘違いしている人が圧倒的に多い今の日本で、
400才のサメの部屋に絵が掛かっていることの意味を考える。
100年、200年、300年。絵と共に暮らす日々を想像してみる。
それは「何も起こらないけれど、ただずっとある」という絵の持ち味が、
いかに有効であるかを指し示すひとつのビジョンなのではないかと僕は思う。
このなんとも穏やかなビジョンは、絵がただの見世物ではなく、
流れゆく生と共にあるべきものだということを改めて教えてくれる。
 
上演後、舞台に上がって彼の部屋の中に入ってみた。
部屋には棚が一つ。そこに置かれた本、CD、コーヒーカップ、花瓶と生花。
そして壁にかかった絵。
賢者だと思っていた彼の部屋は、僕の部屋と大して変わらないみたいだった。
 
撮影 / 加納千尋
 


 
フリーペーパー『鷗』1号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 
◉先週木曜は iTohen<昼の学校><夜の学校>開講日でした。お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
来月は3月14日(木)の開催です。次回もぜひお気軽にご参加ください。

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