名古屋レポート②

続、名古屋レポート。
 
食欲がなく、昼ご飯を抜いたまま二会場をたっぷり巡ったら流石に体に力が入らなくなってきた。
暖かいラーメンを胃に流し込み、次の目的地「港町ポットラックビル」を目指す。
地下鉄で名古屋港の一つ手前の築地口駅。兄のレジデンス拠点は少し寂れた港町にあった。
 
双子の片割れである兄の阿部航太はグラフィックデザインを生業としていて、
東京の事務所勤務を卒業後、1年弱ブラジルに滞在し、
その帰還後に東京で自分の事務所を開設しようとする手前で
MAT(Minatomachi Art Table), Nagoyaから声がかかって、
現在1月半程度のレジデンスプログラムに参加中という身分だ。
滞在中は町の声を拾ってつなぎ合わせたラジオのような作品を制作しているようだが、
今日のイベントはそれとは別で、ブラジルで制作してきた映像作品
『グラフィテイロス』の本邦初上映の会だった。
ブラジルで偶然出会ったグラフィティライターたちを追ったドキュメンタリーで、
彼がずっと研究している「空間とビジュアルイメージ」というテーマに対する一つの解、
もしくは新たな問となるであろう作品と予想していた。
 
軽く挨拶を交わした後で、時間までひとり港を散歩する。
もう使われなくなってしまった港だそうで、休日の夕方はほとんど人気がなかった。
海沿いには競艇場があり、そこの収益の一部を文化事業に投資するという決まりから
MAT,NAogoyaの活動があるという話だった。
車が入れなくなっているせいで、すっと音が消えてとても穏やかな空気が流れていた。
なんだか思考や感覚も緩慢になって、体が夕闇に溶けだしそうな気分だった。
あ、少し熱が出てきたのかもしれない。そう気づいて慌てて薬を飲みに帰った。
 

 
『グラフィテイロス』上映。
「どうしても削れねーんだ」そう前に話していたのが分かるほど、とても濃密な70分だった。
新しいモダニズムの街としてのブラジルと、そこに端を発したグラフィティ文化の興隆。
現実をサバイヴするための表現活動。承認欲求と街や政治との関わり。
所有することと手放すこと。リーガルとイリーガル。コマーシャルとピュアネス。正義。悪。
この数え切れないほどのレイヤーは、それだけ複雑に絡み合った現実そのもので、
そんな生々しさがシーンの端々に見え隠れしていた。
5人のグラフィティライターへのインタビューと制作現場の映像で構成されていて、
みなそれぞれに哲学が違うのが興味深かった。
 
上映後は「街は誰のもの?」と題して、
建築リサーチャーの川勝真一さん(RAD)をゲストにトークイベントが行われた。
そこで、一人のグラフィティライターが「街に自分の生きている証を残したい」と話し、
別のライターが「描いてしまったグラフィティは俺のものではない、街のものだ。」と話していた点を挙げ、
その違いについて話題が上がったが、兄は「両者は言っていることは対極のようで、実は繋がっている」
というような答え方をしていた。それはきっと兄が現地で肌で理解したことなのだろうと思った。
うまく言葉にはできないが、それは確かに映像にも写っていたから。
 

(『グラフィテイロス』より)
 
街との関わりにも興味は尽きないが、やはり絵描きとしては、
彼らが描く絵の内容だったり、その制作のスピードに興味が湧いた。
皆言うことは違えど、誰ひとり迷いながら描いている奴がいなかったのが驚きだった。
ストリートだから、早く描かなければ捕まってしまうからそうなんだろうけど、
それを抜きにしても、皆自分のスタイルに自信を持ち、堂々と素早く描く姿はカッコ良かった。
アトリエで頭を抱えながら絵を描く自分の姿を省みて、
「同じ絵描きだとどうしても思えないよなぁ」と何だか途方に暮れてしまった。
彼らの絵が描かれるまでの精神的な、文化的なプロセスを知りたいと思った。
 
打ち上げで中華料理屋。
兄に「グラフィティじゃなくて絵を描いている奴っているの?」
と聞いたら、やっぱりあんまり居ないという。
「本当かどうかわからないんだけど、ブラジルには美大が存在しないらしい」
曖昧な情報だそうだが、確かにそれぐらいの大きな差を感じる。
絵って、やっぱり掴み所があるようでないなぁと改めて思った。
最近少し見えてきたような気がしていたのだけれど、
またよく分からなくなってきてしまった。
絵を残すって、一体どういうことなんだろう。
僕は存在を証明したいのだろうか。空間に介入したいのだろうか。
よく分からない。
 
兄と同じくレジデンスプログラムに参加中の画家の蓮沼昌宏さんとトリエンナーレの話をしながら、
「現代アートの世界で絵の立場というのはどんなものなんでしょう?」
と問うたら、「僕にはインスタレーションも映像も、みんな絵を描いているように見えるんだよね」
という答えが返ってきた。
「あぁ、そんな絵の捉え方があるのか…」(本日二度目)と、目から鱗が落ちた。
ますます分からなくなったようで、一つ近づいた気もしなくはない。
絵って何だろう。
道は果てしないが、考えるのはひたすら楽しいなぁと思えた名古屋の夜。
 
兄の隣で雑魚寝をして、朝起きたら体バキバキの喉はガラガラ。
また変な汗をかきながら在来線で神戸まで帰った。
それから1週間経つが、夏風邪はまだ治りきっていない。
 
 


 
◉次回展示のお知らせ。
8/24(土)より、北鎌倉の喫茶ミンカにて行う作灯家の河合悠さんとの二人展を行います。
詳細はこちらよりご覧ください。『わたしが巣でねていると』@ 喫茶ミンカ
 
フリーペーパー『鷗』2号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 

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