鰺坂さんに教わったこと


 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
先週末は大阪のiTohenにて、
当ギャラリーのオーナーである鰺坂さんのトークイベントに聞き手として参加して来た。
 
鰺坂さんへの恩は数えきれない。
知り合って3年。まだ東京で燻っていた時分、
見ず知らずの僕の本をネットを通じて購入して下さった。
それからグループ展に誘ってくれたり、
絵描きとしての初個展もiTohenでさせてもらった。
一緒に仕事をしたいと思っていた人にも
鰺坂さんを通じて会うことができ、後に仕事も実現した。
 
でも、鰺坂さんへの恩はこういったギャラリーと作家という関係の中だけの話では決してない。
それよりは、芸術のもつ得体の知れない面白さに絡み取られた者同士として、
そしてその面白さに長いこと振り回されてきた先輩として、
文字通りこの世を生き抜くための示唆を惜しげ無く与えて下さったことに、
僕は何よりも感謝している。
 
鰺坂さんと出会わなければ
こうして関西に越してくることもなかったと思う。
 
トークイベントでは自身の生い立ちから、芸術に興味を持ったきっかけ、
故郷の鹿児島から大阪に出て来たときのこと、絵描きを目指し、挫折したときのこと、
そして15年前にiTohenを立ち上げた際のこと、と順を追ってお話いただいた。
インタビュアーとして褒められた出来ではなかっただろうが、
それでも僕自身はとても新鮮な気持ちで、
改めて一人の表現者としての鰺坂さんの輪郭をなぞることができた。
あまり自分の話はしない人なので、この日初めて知った事柄も少なくなかった。
 
自分の話をしないことに加え、鰺坂さんは作品に対してあまり個人的な評価を口にしない。
良い機会だと思い、実際どのように作品の善し悪しを判断しているのか聞いたところ、
「最近はお腹で見るようにしている。良い作品を見ると、お腹がじわーっと暖かくなるのでわかる。」
とのこと。更に伺うと、腸は第二の脳と言われているらしく、
人の意思とは関係なく自らの意思で動き、働くらしい。(確かに、消化に意思は必要ない)
また、手術の際に一度腸を体外に取り出し、術後に再度戻すと、
腸は勝手に自分で元あった位置に戻るんだそう。
 
この説明を聞くと、理性的な視点とは別の視点を持つためにお腹を使うという方法は、
あながち突飛なものでは無いかもしれないと思わせる。
何とも興味深い話だが、一方、20年以上芸術を見続けてきた人が、
このように言語化が不可能な感覚を頼りに作品を捉えようとしているところにも、
芸術の面白さとその深淵さが見て取れる。
 
鰺坂さんはいつも言う。
「芸術というものは無くても生きていける。それでも、やっぱり人にとって必要なものなんです。」
そこから返る「なぜ必要なの?」という問いへの答えを考える続けることが、
心豊かに生きるためのひとつの方法であることは間違いない。
 
芸術は有効だ。人に対して。社会に対して。
僕はそれを鰺坂さんに教わった。

ポーラー・エクスプローラーと酒屋のおかみさん


 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
先週末に訪れた熊本。
路面電車の走る道は平に延びて、
空は広く、川が風とともにゆったりと流れている。
それはまるで寝息のような穏やかさ。
 
そんな街で出会った着物の女性。
原画展でお世話になっている長崎次郎書店の近くで
酒屋を営んでいるとのこと。
わざわざ僕の在廊日に合わせて駆けつけてくれたらしい。
着物を褒めると、
 
今日はキャバレーでとっても素敵なイベントがあったの。
ちょうど時間がかぶっちゃって、
もう帰っちゃったかなと思ったけど、とにかく急いで来たの。
イベントに向かう途中で、駅のほうから一人歩いてくる男の人を見て、
連れと一緒に「あの人が阿部さんかな?」なんて話をしてて、
それが合ってるか確かめに来たの。全然ちがった。
 
はつらつとした人。
きっと人生を楽しむ術を知っているのだろう。
そんなふうに思っていたら、別れ際にひとつ秘密を教えてくれた。
 
自分に必要なものや叶えたいことがあるなら、
まずは念じること。でもそれだけじゃなくて、
それがいつ叶うかをなるべく具体的にイメージすること。
何年後の何月何日みたいに、そこまで含めて念じるの。
そしたら叶うから。
でも、もしそれで叶わなくてもそれは貯金になるんだって。
 
聞いてすぐに、
以前本で読んだ、初めて南極大陸を犬ぞりで横断した探検家
ウィル・スティーガーの言葉を思い出した。
 
夢を実現するにはヴィジョンが大切だ。
そのヴィジョンがクリアになったとき…、
つまり欲しいものがはっきりとわかったときに、
”それ”は目の前に現れる。
 
ポーラー・エクスプローラーと酒屋のおかみさん。
二人の言葉が符号する。
 
また会いたい人が増えて、行きたい土地が増える。
僕は今何が欲しいのか。

シューカイの音


 
 
 
 

 
 
 
熊本に行ってきます。
昨年5月より始まった『みずのこどもたち』原画展の全国巡回。
7箇所目の今回は熊本市の長崎次郎書店さんで開催ということで、
14日の日曜日、15時から18時の間、
在廊しながらサインを書いたり、小さな絵を手渡したりします。
半日にも満たない在廊ですが、お近くの方はどうぞ覗きに来て下さい。

>長崎次郎書店
 
 
最近のもっぱらの楽しみ、レコードのこと。
 
去年の夏にプレーヤーを手に入れてから、
ちょっとずつ中古レコードを買い集めている。
大して良い環境で聴いているわけではないけれど、
それでも音の存在感が違う気がする。
 
かつて顔も知らない誰かがこの音を吹き込んだこと。
それが時を超えて今鳴っていること。
この極東の島で。この僕の部屋で。
それがどれだけ奇跡的なことか、
絵本を描くようになってからより強く感じるようになった。
 
残るものをつくりたいといつも思っている。
時代になんか負けないものを。
僕が老いても絵本は老いないで欲しい。
そのための普遍性をどうやって獲得するか、いつも頭を抱えている。
 
先日ホルガー・シューカイという方のレコードを買った。
とてもヘンテコで、それでいて美しかった。
何がしたいのか、何を伝えたいのか、
そんなこと聞いたってびた一文にならないぜって、音が言っていた。
 
ああ、よくこんなヘンテコで美しい音楽が消えることなく残ってくれたな、そう思った。
 
 
普遍的というのは、あたりまえ、ということではない。
ましてや、分かりやすい、ということでもない。
そしてセールスだけでは決して計れない。
 
きっと生の美しさが必要だ。
偽りがないってことも必要。
シューカイの混沌とした音楽世界に感じる喜びのようなもの。
 
共感を呼ぶのとは違う、
こんな世界があるんだぜ、という普遍性。
僕の表現もそうありたい。遠い誰かにとって。
 
 
ホルガー・シューカイは昨年9月にこの世を去っている。
でも彼の音はこれからも僕の部屋で鳴り続けることだろう。

朗読会


 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
年末にblackbird booksで体験した柴田元幸さんの朗読が忘れられなくて
ふとしたときに思い出している。
 
レベッカ・ブラウンの『かつらの合っていない女』。
柴田さんの声が暖かい室内にさらに火をくべる。
伴奏するクラヴィコードの音はまるで別の時代から降ってくるもののようだ。
店の外を駆けて行く子供の声がくぐもって聞こえて、
何か薄い膜に包まれているような穏やかな気分になる。
 
文学や詩には喜びがあると思う。
驚くほど繊細で、説明なんて不可能だと思えるような感覚を共有できることの喜びだ。
こんなことを書いてくれる人がいる。しかも本として売られている。
出版されているということは、それに感じ入る読者が僕以外にも存在することを意味する。
それは何て勇気づけられることだろう。
 
この日はそれが目に見えるかたちとなって現れた。朗読会として。
多くの人が眼をつむり、耳を開き、同じ言葉からそれぞれの景色を描いていた。
僕はそれを見て、本の中の世界は本当にあるんだ、と思った。
 
帰りの電車で詩集を読んでみると、
先ほど聴いたばかりとは思えないほど読むのに苦労した。
訳者の言葉の力にただ驚いた。


 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

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