今夜こうして話せる相手が隣に居ることの幸福


 

東京は学芸大学のSUNNY BOY BOOKSにて開催中の
『想像からはじめるーSolidarity-連帯-연대ーPOSTER EXHIBITION』に参加中だ。
店主の高橋くんに声をかけてもらい、「連帯」をテーマにポスターを一枚制作した。
 
今展示は、SUNNYで展示予定だったソウルのイラストレーターが、
昨今の状況により来日を断念する事態になったことに端を発している。
いくらこちらが「国」という括りを信じようとしなくても、
結局こうして身の回りの小さなところまで巻き込まれてしまうのかと思うと、何とも薄ら寒い。
お店のほうは薄ら寒いなんて言っている余裕はなかっただろうが、
そこで空いた穴をただ埋めることをせず、そんな状況だからこそできることをやろうと
今回のポスター展が企画されたという。
高橋くんから届いた展示参加への依頼メールには、
「急だったもので申し訳ありません・・でもいつ何が起こるか本当に分からない時代、
瞬発力あってこそ闘えるかなとも思いつつ、無理のない範囲でご協力いただけたら嬉しいです。」
と書かれていた。本当にその通りだよなぁと思い、こちらもすぐさま返事を送った。
 
依頼をもらう少し前、メディアやsnsが韓国へのヘイトで溢れかえる状況に絶望を覚え、
何かを発言したり、人の発言を支持したりすることにひどく無力感を感じていた。
「何を見たって、書いたって、何が変わるっていうんだ。」そう漏らす僕に対し、
妻は「でも書かないと、それは無いってことにされてしまうんだよ。」と返してくれた。
今回僕が描いたポスターはひどく曖昧で、何かを変える力は持っていないだろう。
けれど、「連帯」しようとしている人たちが「いる」ことの印くらいにはなり得る。
このポスターが部屋や街角に貼られることで、
無力感に苛まれた誰かの気持ちが少しでも軽くなることがあれば、
僕はとても、とても嬉しい。
 
 
既にSUNNYでの展示は折り返しを過ぎてしまったけれど、
遅れ馳せながら、ここで韓国の友人との個人的な思い出を絵に添えたいと思う。
 
今から10年前。
大学卒業後に1年だけ住んでいたベルリンで、僕は半年ほど語学学校に通っていた。
僕の住んでいたのはトルコ系移民が多く暮らす地区で、学校もそこらでは一番安く、
アラブ系を始めとする多国籍な生徒たちが大きな教室で一緒に授業を受けていた。
学校では授業中はもちろんのこと、授業外でも共通言語はドイツ語だった。
大人数クラスなので個々のレベルもまちまちで、僕はかなりたどたどしいほうだったけれど、
その中でも聞き取り易いのは韓国人や台湾人の喋るドイツ語で、
母語の発音やアクセントが似ているせいか、とても耳馴染みが良かった。
僕は彼らと付き合うことで、初めて自分が「アジア人」であることを自覚した。
 
ユジンともその学校で出会った。
年も僕の一つか二つ下と近かったこともあり、
彼女の韓国人の友人と3人でたまにご飯を食べたりお茶を飲んだりするようになった。
ユジンは聡明でよく笑う女の子で、少しおっとりしたところもあり、
僕がその頃抱いていた血気盛んな韓国のイメージとはかなり差があった。
(その頃の僕にとって、韓国といえばサッカーの代表のイメージがかなり強かった)
ただ会話の中で、弟の兵役のことや北朝鮮との関係について話題が飛ぶと、
改めて国というものの違いに思いを馳せずにはいられなかった。
 
そんな彼女は日本映画が大好きで、それも犬童一心や黒沢清、また北野映画が好きだと言うから、
大学時代によく邦画を観ていた僕は嬉しくて、二人でたくさん映画の話をした。
僕の方は韓国映画はキム・ギドクを一本見たことがあるだけで、でもとても面白かったと話すと、
次の日に『春夏秋冬そして春』のDVDを持って来てくれたこともあった。
 
僕が語学学校を辞めてからしばらく経った頃、
たまたま近所のミニシアターで小津の『東京物語』が上映されることを知った。
未見だった僕は良い機会だと思い、ユジンを誘って観に行くことにした。
 
小さな50席程度の劇場に来ていた客の中で、アジア系は僕らだけだった。
ナイトクラブのような赤い照明の下、急な傾斜のついた席に彼女と並んで腰掛けた。
日本の劇場との空気の違いに何だか落ち着かない気持ちだったのを覚えている。
映画が始まると、僕はドイツ語の字幕を追いながら日本語のセリフを聞くようにして観た。
モノクロの古い映像のせいか特に郷愁をそそられた記憶はない。
でも、小津映画特有の静けさを僕はとても楽しんでいたし、
絵のように作り込まれた1シーン1シーンが彼女の目にどう映るのか、
あとで感想を聞くのが観ているうちから楽しみだった。
 
そこであることが起こった。事件なんて程でもない、些細なことだ。
あるシーンで一瞬、劇場全体が「わっ」と湧くような笑いが起こったのだ。
どんなシーンだったかはっきりとした記憶がないのだが、
たぶん老夫婦について他の家族が小言だか冗談だかを言ったシーンだったと思う。
たしかにユーモラスなシーンだったのかもしれない。
ただそれは表面上面白く見えるだけで、本質は悲しみが見えるシーンだった。
呆気にとられた僕は、胸がきゅっと縮むような思いを抱えながら最後まで映画を観ていた。
 
上映後、感想もそこそこに僕は彼女に笑いが起こったシーンについて意見を求めた。
すると彼女の方もあの笑いには驚いたようで、
ドイツ語の字幕を完全に読めていたわけではないと前置きしつつも、
「あれは笑いが起こるべきシーンじゃない。」とはっきりと答えた。
それを聞いて僕はようやくほっと息をつくことができた。
それから温かい気持ちがゆっくりと体中に広がるのを感じた。
こういう種の小さな違和感は孤独を生む。
異国暮らしに疲れた僕の中には、そんな薄切の孤独が知らないうちに積み重なっていた。
僕は、今夜こうして話せる相手が隣に居ることの幸福を噛み締めながら、
オレンジ色の街灯に照らされた冬の街を彼女と二人、地下鉄の駅へと歩いた。
 
僕はこの思い出を振り返ることで、
彼女が韓国人だから日本映画を理解できただとか、
ドイツ人とアジア人では感性が違うだとか、そんなことを言いたいのではない。
僕がここで書き残しておきたいと思ったのは、
あの日、彼女が隣に居たことで僕はとても救われたということと、
僕らは気の合う友達だったということだけだ。
たまたま隣同士の国で生まれ、映画が好きで、同じ時期にベルリンに暮らしていただけ。
ただそれだけのこと。
 
韓国についての報道を見かける度に、僕は彼女の笑顔を思い出す。
もう随分会っていないけれど元気でやっているだろうか。
まだ映画観ているかな。僕は昔ほど日本映画を観なくなってしまったけれど、
代わりにドキュメンタリー映画をよく観ているよ。
韓国映画もあの頃より観るようになった。ちょっと前だけど、
『哭声/コクソン』という映画が面白かったね。國村隼人が出ているやつ。
あと今日本では韓国文学が盛り上がっていて、僕も最近1冊買ったんだ。
まだ読んでいないけど、とてもきれいな本だよ。
そのうち韓国で絵の展覧会を開きたいと思っているから、
その時は君を招待して、あの頃の思い出を久しぶりに語り合いたいね。
もう僕のドイツ語は完全にkaputしてしまったから、
英語も交えながら、韓国語のフレーズのいくつかでも教わりながら、
またゆっくり話せる日が来たら良いね。
それまでどうかお元気で。
 
 


 
『想像からはじめるーSolidarity-連帯-연대ーPOSTER EXHIBITION』
SUNNY BOY BOOKSでは10/31までの開催。その他各地で巡回展の開催が始まっています。
詳しくはSUNNYのWebサイトにて。
 
 
◉次回の個展の情報をアップしました。
『風と野良』
東京は都立大のQuantum Gallery & Studioにて2年振りの個展を開催します。
油彩やドローイング他、新作となる布の作品の展示販売と、
30日(土)にはダンサーの荒悠平氏を迎え、一夜限りのライブパフォーマンスを行います。

2019/11/16(土) – 12/1(日)
11:00-19:00 / 水曜休廊

 
 
フリーペーパー『鷗』3号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 

上野公園のブルーテント


 
台風時の避難所で、台東区のホームレスの人達に対する排除があったというニュースを見て、
大学への通り道だった上野公園の風景を思い出した。
 
10年ほど前、僕の在学していた時分の上野公園は、
鬱蒼とした木々が時の厚みを感じさせる落ち着いた趣のある公園だった。
園道からは容易に外の道が見えないほどみっしりと木が植わっていて、
その隙間には絶えずブルーテントが建ち並び、
ホームレスの人達が道やベンチで寝たり陽に当たっている姿も公園のひとつの日常だった。
学生達はそれを横目に「あそこが芸大生の就職先だ」という冗談を言ったりして、僕も笑ったりしていた。
そんなひどい冗談にただ笑うだけで何も考えていなかった当時の自分の頭をはたいてやりたい気持ちもあるが、
学生達にとって卒業後の就職難や経済的困窮は決して他人事ではなかったのも事実だ。
僕が見る限り、芸大生はホームレスの人達と特に関わりを持ってはいなかったけれど、
同時に敵意や嫌悪も抱いていなかったように思う。
トラブルがあったような話は聞いたことがないし、少なくとも僕にはそういう感情はなかった。
ただ「どんな気持ちで暮らしているのか少し気になっている」という程度で、
青くいびつな造形物も、おっちゃんたちがぼーっと過ごしている姿も、炊き出しの様子も、
みんな日常の風景だった。
 
記憶が正しければ2008年の冬から2009年の春にかけて。
卒業を控えていた頃、前触れもなく上野公園の木々が間引かれ始めた。
光が地面まで届くようになり、公園は明るく見通しが良くなった。
そして間も無くテントは1枚も無くなり、空いた木々の隙間には、
卒業制作で作られたであろう大きな彫刻作品が点々と展示されるようになった。
ホームレスの人たちがどこへ行ったか知る由もない。
あっという間の出来事だった。
 
明るくなった上野公園に当時の僕はひどく落胆した。
ホームレスの人達を気遣うような思いがそこに溢れたわけではなかったのだけど、
上野公園にあった独特な包容力と寛容な空気が一気に奪い去られたことは肌で理解できた。
それから2年ほど日本を離れた後、帰国して訪れた上野公園を見て更に愕然とした。
広場にあった大きな噴水がこぢんまりと縮小され、
代わりにたかが数十メートルの距離に小ぎれいなカフェチェーンが2軒、向かい合って建っていた。
僕の好きだった、わらわらと人と植物が交じり合うようなあの上野公園は跡形もなく消えてしまった。
 
公園の再開発には芸大の先生も関与しているという話だ。
芸術を学ばんとする学生達の通学路があんな均質化された場所に変わってしまったことを、
先生たちはいったいどのように考えているのだろう。
公園に住み続けることがホームレスの人達にとって良いことかどうか僕にはわからないけれど、
(twitterで紹介されていた『ハウジングファースト ー住まいからはじまる支援の可能性』を読もうと思う。)
大きな力によって人がまるで掃除のように掃き出されることの不当さは許し難いし、
そこに学生の作品が利用されてしまうことも何とも言えない辛さがある。
今の上野公園を見て、誰もそこにブルーテントが並んでいた姿を想像することなんてできないだろう。
明るく、清潔で、観光気分で、お茶もできて、みんなが喜ぶ公園。
みんなって誰だ?
 
どこにも居なかったことにされた彼らは、今どこに居るのだろう。
切られた木が生えてこないのと同じく、彼らも帰っては来ないだろう。
もし叶うなら、あの2軒のカフェを取っ払って、代わりにベンチやゴザをたくさん並べて、
誰でも寝たり座ったりできる場所を公園のそこかしこに作りたい。
芸術作品は土から退けて広場に持ってこよう。
土の上は植物に預けて、雨宿りしたい人は木々の屋根を借りて過ごせば良い。
学生も浮浪者も酔っ払いも家族連れも異国の人たちも、誰もがぼーっと過ごせる日常を取り戻したい。
他はなにひとついらない。何もつくらなくて良い。
もしどうしても何かつくるというのなら、
誰でも食べに来れる立ち食い蕎麦屋ぐらいならあっても良いかもしれない。
 
 


 
◉上に書いたような憤りを抱えている人にお勧めのイベントがあります。
『街は誰のもの?』

兄の阿部航太とその友人のユニット「Trash Talk Club」主催。
兄がブラジルで記録したグラフィティカルチャーをテーマにした映像作品の上映と、
それに伴うトークイベントです。
東京は目白のブックギャラリーポポタムにて、10/25,26,27の開催。きっと面白いですよ。
 
 
『想像からはじめるーSolidarity-連帯-연대ーPOSTER EXHIBITION』

東京は学芸大学のSUNNY BOY BOOKSにて、
「連帯」をテーマにしたポスター展に参加しています。
僕は「相手の体温を想像する」ことをテーマに絵を描きました。
ポスターは購入可能。気持ちと一緒に持ち帰って頂ければ。
10/31まで。
 
 
フリーペーパー『鷗』3号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 

鷗 3号


 

 

 

阿部海太による絵と物語の季刊フリーペーパー『鷗』(かもめ)。
3号がようやく、ようやく刷りあがりました。
夏号のつもりで作っているうちに気付けばもう10月。
<お知らせ>に乗せた情報も、既に期日を過ぎてしまったり、
進行中のものがあったりするような体たらくですが、どうか大目に見て頂けたら。
 
相変わらず個人的な内容で、好き勝手に楽しく書いております。
そんな売り物にもならない紙切れを置いて下さっているお店の方々と、
どこかで拾ってくれた読者の皆様に改めて感謝を。
なかなか息苦しい世の中ではありますが、
絵と物語で少しでも息をついてくれたら嬉しいです。
 
以下、『鷗』設置店舗です。
展示や本の販売でお世話になった場所に置かせていただいています。

〈東京〉
SUNNY BOY BOOKS (学芸大学)
ブックギャラリーポポタム(目白)
URESICA (西荻窪)
本屋Title(荻窪)
Quantum Gallery & Studio(都立大学)
青山ブックセンター本店(青山)

〈北陸〉
北書店(新潟)
オヨヨ書林せせらぎ通り店(金沢)

〈中部〉
本・中川(松本)
栞日(松本)

〈関西〉
iTohen(大阪)
blackbird books(大阪)
恵文社一乗寺店(京都)
nowaki(京都)
善行堂(京都)

〈中国〉
READAN DEAT(広島)

〈九州〉
ナツメ書店(福岡)
長崎次郎書店(熊本)
橙書店(熊本)

※ お近くにお店がない方は、ネット通販をご利用いただけるお店でお買い物いただくと、
同封して下さる場合もございます。お手数ですが、各店舗にてお問い合わせください。
 
 


 
◉東京は西荻窪のウレシカにて開催中の『ペットショップにいくまえに展 2019』
に参加しています。犬の絵と猫の絵を一枚ずつ展示中です。
人と動物。互いの関わりについて考えるきっかけになれば嬉しいです。
会期は10/7(月)まで。ぜひお立ち寄りください。
 
iTohen<昼の学校><夜の学校> デッサン教室
今月10月の開校日は10日(木)です。
昼の学校は16:30〜18:00、夜の学校は19:00〜20:30。
初心者のためのクラスですので、どなたでもお気軽にどうぞ。

名古屋レポート②

続、名古屋レポート。
 
食欲がなく、昼ご飯を抜いたまま二会場をたっぷり巡ったら流石に体に力が入らなくなってきた。
暖かいラーメンを胃に流し込み、次の目的地「港町ポットラックビル」を目指す。
地下鉄で名古屋港の一つ手前の築地口駅。兄のレジデンス拠点は少し寂れた港町にあった。
 
双子の片割れである兄の阿部航太はグラフィックデザインを生業としていて、
東京の事務所勤務を卒業後、1年弱ブラジルに滞在し、
その帰還後に東京で自分の事務所を開設しようとする手前で
MAT(Minatomachi Art Table), Nagoyaから声がかかって、
現在1月半程度のレジデンスプログラムに参加中という身分だ。
滞在中は町の声を拾ってつなぎ合わせたラジオのような作品を制作しているようだが、
今日のイベントはそれとは別で、ブラジルで制作してきた映像作品
『グラフィテイロス』の本邦初上映の会だった。
ブラジルで偶然出会ったグラフィティライターたちを追ったドキュメンタリーで、
彼がずっと研究している「空間とビジュアルイメージ」というテーマに対する一つの解、
もしくは新たな問となるであろう作品と予想していた。
 
軽く挨拶を交わした後で、時間までひとり港を散歩する。
もう使われなくなってしまった港だそうで、休日の夕方はほとんど人気がなかった。
海沿いには競艇場があり、そこの収益の一部を文化事業に投資するという決まりから
MAT,NAogoyaの活動があるという話だった。
車が入れなくなっているせいで、すっと音が消えてとても穏やかな空気が流れていた。
なんだか思考や感覚も緩慢になって、体が夕闇に溶けだしそうな気分だった。
あ、少し熱が出てきたのかもしれない。そう気づいて慌てて薬を飲みに帰った。
 

 
『グラフィテイロス』上映。
「どうしても削れねーんだ」そう前に話していたのが分かるほど、とても濃密な70分だった。
新しいモダニズムの街としてのブラジルと、そこに端を発したグラフィティ文化の興隆。
現実をサバイヴするための表現活動。承認欲求と街や政治との関わり。
所有することと手放すこと。リーガルとイリーガル。コマーシャルとピュアネス。正義。悪。
この数え切れないほどのレイヤーは、それだけ複雑に絡み合った現実そのもので、
そんな生々しさがシーンの端々に見え隠れしていた。
5人のグラフィティライターへのインタビューと制作現場の映像で構成されていて、
みなそれぞれに哲学が違うのが興味深かった。
 
上映後は「街は誰のもの?」と題して、
建築リサーチャーの川勝真一さん(RAD)をゲストにトークイベントが行われた。
そこで、一人のグラフィティライターが「街に自分の生きている証を残したい」と話し、
別のライターが「描いてしまったグラフィティは俺のものではない、街のものだ。」と話していた点を挙げ、
その違いについて話題が上がったが、兄は「両者は言っていることは対極のようで、実は繋がっている」
というような答え方をしていた。それはきっと兄が現地で肌で理解したことなのだろうと思った。
うまく言葉にはできないが、それは確かに映像にも写っていたから。
 

(『グラフィテイロス』より)
 
街との関わりにも興味は尽きないが、やはり絵描きとしては、
彼らが描く絵の内容だったり、その制作のスピードに興味が湧いた。
皆言うことは違えど、誰ひとり迷いながら描いている奴がいなかったのが驚きだった。
ストリートだから、早く描かなければ捕まってしまうからそうなんだろうけど、
それを抜きにしても、皆自分のスタイルに自信を持ち、堂々と素早く描く姿はカッコ良かった。
アトリエで頭を抱えながら絵を描く自分の姿を省みて、
「同じ絵描きだとどうしても思えないよなぁ」と何だか途方に暮れてしまった。
彼らの絵が描かれるまでの精神的な、文化的なプロセスを知りたいと思った。
 
打ち上げで中華料理屋。
兄に「グラフィティじゃなくて絵を描いている奴っているの?」
と聞いたら、やっぱりあんまり居ないという。
「本当かどうかわからないんだけど、ブラジルには美大が存在しないらしい」
曖昧な情報だそうだが、確かにそれぐらいの大きな差を感じる。
絵って、やっぱり掴み所があるようでないなぁと改めて思った。
最近少し見えてきたような気がしていたのだけれど、
またよく分からなくなってきてしまった。
絵を残すって、一体どういうことなんだろう。
僕は存在を証明したいのだろうか。空間に介入したいのだろうか。
よく分からない。
 
兄と同じくレジデンスプログラムに参加中の画家の蓮沼昌宏さんとトリエンナーレの話をしながら、
「現代アートの世界で絵の立場というのはどんなものなんでしょう?」
と問うたら、「僕にはインスタレーションも映像も、みんな絵を描いているように見えるんだよね」
という答えが返ってきた。
「あぁ、そんな絵の捉え方があるのか…」(本日二度目)と、目から鱗が落ちた。
ますます分からなくなったようで、一つ近づいた気もしなくはない。
絵って何だろう。
道は果てしないが、考えるのはひたすら楽しいなぁと思えた名古屋の夜。
 
兄の隣で雑魚寝をして、朝起きたら体バキバキの喉はガラガラ。
また変な汗をかきながら在来線で神戸まで帰った。
それから1週間経つが、夏風邪はまだ治りきっていない。
 
 


 
◉次回展示のお知らせ。
8/24(土)より、北鎌倉の喫茶ミンカにて行う作灯家の河合悠さんとの二人展を行います。
詳細はこちらよりご覧ください。『わたしが巣でねていると』@ 喫茶ミンカ
 
フリーペーパー『鷗』2号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 

名古屋レポート①

夏風邪で弱った体を引きずって久しぶりに名古屋へ向かう。
大阪からバスで4時間ほど。少し道が混んだ。
熱を薬で押さえているせいで変な汗が体に滲む。
風邪は通り過ぎるもので、症状は必要があって体に出ているのだから、
押さえ込んではいけないのだと整体の偉い先生が言っていた。
しかし今日ばかりは薬を飲んででも、兄の晴れ舞台ー
ブラジルで撮影してきた新作映像の上映会を見に行かねばならない。
 
12時過ぎに名古屋到着。
上映会は夜なので、話題のあいちトリエンナーレを見に行く。
もとはついでに寄るぐらいのつもりであったけれど、
連日のニュースを追っている中で俄然楽しみになっていた。
 
体力と時間の関係から、メイン会場の愛知県立美術館と名古屋市美術館の二会場のみを鑑賞。
まず何より印象的だったのが、
現代の様々な社会問題に対して真正面から向き合っている作品が非常に多かったということ。
アートは社会問題を扱うことは少なくないけれど、
その向き合い方が特別ストレートな点は今回の展示の特徴と言えると思う。
この二会場ではインタビューという形式をとった(もしくは素材にした)作品が多く見られたが、
そういうところにも「当事者の声を届けないといけない」という切迫した現状が透けて見えるようだった。
これは『情の時代』というテーマに沿ったキュレーションの成果であると共に、
現代のアートにおけるメインストリームでもあるのかもしれない。
 
 
ここで、自分の目で見ることのできた中から記憶に残った作品をいくつか紹介しようと思う。
 
『抽象・家族』 田中功起
(映像、絵画、インスタレーション)

別々に配置された三つのスクリーンには、両親のいずれかが海外のルーツを持ち、
かつ日本に暮らす出演者たちがテーブルの上で座談会をしたり、
ご飯を食べたり、ピクニックに行ったり、庭に穴を掘ったり、
抽象画を描いたり(このシーンには出会わなかった)する映像が映される。
そこには緊張しながら自分史を語り合う関係から、
寝ころびながら冗談を言い合う仲になるまでの彼らの時間が途切れ途切れに映っている。
離れたスクリーンをつなぐように会場には大きな抽象画とセットに使われたテーブルと椅子が置かれ、
空っぽな家を徘徊するように鑑賞者はふらふらとその中を歩く。
「抽象絵画は、色と形を認識しうる視覚機能を備えた、ある意味では普遍的な人間像を観客として想定する。
それは時代や地域、人種も超える。抽象絵画は、その意味では、平等という思想を前提にしている。」
という解説を読み、「あぁ、そんな絵の捉え方があるのか…」とじわーっとなる(感動して)。
巨大な抽象画に囲まれながら、肌の色や顔立ちが異なる出演者が少しずつ家族のような親密さを表していく。
ご飯を食べる速さの違いをお互いに指摘し合って笑っている。
僕はソファーに深く座りながら、なんだかずっとここに居たいなぁと思った。
効きすぎる空調で体は冷たく硬くなっていたが、心の底はほっと緩んでいた。
 
 
『ラブ・ストーリー』 キャンディス・ブレイツ
(映像)

難民や移民をテーマにした作品が多かったのは、
今まさに皆で考えねばならぬテーマとして必然性があるからに他ならない。
そんな中でもこの作品には痛烈な皮肉が込められていて印象に残った。
最初の部屋。大きなスクリーンに代わる代わる登場する白人の男女は俳優で、
難民の人々が被った体験をさも自分が経験したかのように語っている。
白人俳優が「ルワンダ」や「シリア」の名を母国として口にする違和感に、僕はかるく目眩がした。
これは難民問題を自分事として捉えることのできない社会に対する半ば挑発じみた批判であるが、
それは頭ごなしのものとは違って、表現を通してでしか触りえない部分を確実に突いてくる。
まさにアートの妙技だと思う。
またもう一つ面白いところは、「演じる」という行為の不思議さが滲んでいる点だ。
演劇はかなり古くから人が用いてきた表現方法なんだそう。
確かに「演じる」という行為にはどこか人の隠れた衝動や欲求が隠れているように思う。
多分僕らは知らず知らずのうちに「演じる」ことを人に求めるし、「演じ」ずにいられない。
しかしその過程で、僕らの手の中から何かが溢れてしまうことも無視できない。
この映像からは、そんな逃れようのない欲求を抱える人間に対するアイロニカルな視線をも感じる。
続いて奥の部屋。六つの小さなスクリーンがあり、ここには本当の難民の人々のインタビューが流れていた。
前の大きなスクリーンとこの六つの映像はセットで一つの作品ということらしい。
大きな虚像の裏に並ぶ小さな個人の実像という構図が見えてくる。
最後の方に見た作品で、疲れで意識が朦朧としていたせいでそれぞれ細かく鑑賞できず、
アフリカの少年兵だった人についてのハンドアウトだけをちらっと読んだ。
まるで現実とは思えない悲惨さで、もう何が「虚」で「実」か訳がわからなかった。
 
 
『LA FIESTA #lationsinjapan』 レジーナ・ホセ・ガリンド
(映像)

インパクトはないが、妙に記憶に残った作品。
グアテマラ出身の作家が、自身と同じくラテンのルーツを持つ
名古屋在住の外国人労働者に参加を呼びかけ開催したパーティーの記録映像。
地元の料理を懐かしんだり、音楽に合わせてみんなで踊ったりと何てことのない映像が流れる。
この「何てことのなさ」がアート作品として美術館に展示されていることに驚くが、
それは裏を返すと、今の世の中が逆にそれだけ歪んでいるという証なのかもしれない。
鑑賞者が目を向けるべきは、スクリーンに映されたイメージではなく、
そこから反射して見える反対側のイメージなのだ。
異国での労働者としての生活は、いったいどれだけの当たり前を搾取されているのだろう。
世の中が歪めば歪むほど、我々が希求するものはますます「何てことのない」物事になっていく。
それはアートにだって言えることなのかもしれない。
 
 
展示を通して、世界が確実に切迫してきていることが痛いほどわかった。
そしてそんな時代だからこそ、表現は時として暴力的な表情を見せることもある。
顔をしかめたり、目を背けたくなるような形を取ることもある。
でもそんな時こそ、そのイメージが何のためにその姿であるかを考えねばならない。
その姿がどんな悲鳴を抱えているのか耳を傾けねばならないし、
その先にどんな希望を持ち得るかを個人個人が考えねばならない。
僕が見ることのできた展示作品は、皆それぞれに示唆的であり、
知に富み、クールな視座と詩情を併せ持ち、また静かで行動的であった。
中止に追い込まれた『表現の不自由展』や、見ることの叶わなかった作品たちも、
きっとそれぞれのやり方で時代の悲鳴や希望を拾っていただろう。
そんな出会えなかったいくつかの作品も含め、
トリエンナーレ全体の意思は、僕はしっかりと受け取ることができたと感じている。
こんな前向きな気持ちで現代アートの展示を見終えたのは随分と久しぶりで、
これは誰かに「面白かったよ」と伝えなければいけないと思った程だ。
願わくは、今回の騒動をきっかけにアートの持つ本来の役割が再考され、
また市民とアートが再び出会い直すような機会となれば良い。
大丈夫。大丈夫。
きっと生まれてしまった溝には、もうアートの芽が頭を出し始めているだろうから。
 
 
⇨②に続く。
 
 


 
◉次回展示のお知らせ。
8/24(土)より、北鎌倉の喫茶ミンカにて行う作灯家の河合悠さんとの二人展を行います。
詳細はこちらよりご覧ください。『わたしが巣でねていると』@ 喫茶ミンカ
 
フリーペーパー『鷗』2号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 

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