雑記


 
大阪駅の安倍3選反対デモに行ってきた。
何でもない、小一時間ただ突っ立ってスピーチを聞くだけ。
大阪のデモは東京に比べて規模が小さい。
地方はどこもそうだとは思うのだけど、
どうしてこういう差が生まれるんだろうなぁとぼんやり考えていた。
きっと人口の差だけでは無くて、
東京からは見えて、地方からは見えないものがあるのだろう。
原発事故の影響の大きさ、そのインパクトの差もあるか。
ただ何処で暮らすにせよ、この綱は引き続けなくちゃいけない。
自分が変えられないために。
また行けるときに行く。体を使うことを忘れずに。
 
帰りに紀伊国屋で『自衛隊と憲法』(木村草太 著)を買って帰る。
林さんに薦められた本。
晶文社の<犀の教室>シリーズは2冊目。もう少し読んでいきたい。
 
 
8月の個展からまともに絵を描いていない。
新しいことを始めようと、
ずっとクロッキー帳の上で試行錯誤している。
ここ最近はもっぱら言葉と戯れている。
絵とは違う回路を使って何かを作ることが、今とても楽しい。
 
僕にとっての言葉のフィールドはまっさらで広大だ。
座標も指標もない。頼りになるものが周りに見当たらない。
そこにはただ無知と未経験が広がっている。
最初は喜び勇んで歩き出すのだけれど、
しばらくすると行き先や現在地が淡く消え失せてしまう。
絵で描けなかったものが、
言葉でなら書けるような気がしたのは始めだけ。
何でも書けるということは、
何ひとつ書けないということを早々に体感する。
 
考えあぐねた結果、
今のところの指標は“嘘をつかない”。
それから“良く知っていることを書く”。
これで少しまともになった。
この言葉たちにはこれから形を与えます。
来月中には発表できれば。
 
 
明日からしばらく高知に行ってきます。
数日ですが、久しぶりに展示とは関係のない遠出なので嬉しい。
きっと静かな場所だから、詩集を持って行こう。
善行堂で買った八木重吉が良い。
山の中で詩を読もう。

Demo for … 9/14(金)19時 JR大阪駅御堂筋北口付近


 
今回の台風は予報より大したこと無かったなぁと呑気な気持ちでいたら、
隣の六甲や大阪では大きな被害があったり、おまけに北海道では地震が起こった。
 
東京住まいだった東日本の震災のとき、
電車が動くまでの間、まだ被害の程度も知らず、
バイトの派遣先だった知らない町の駅から駅をひとり歩き、
その非日常感をただ楽しんでいたことを思い出す。
思い出す度に、同じ時間に起こった他の場所での出来事のことを考えて、
何とも言えない気持ちになる。
この差はいったい何なのだろう。
もし答えられる人がいたら教えて下さい。
僕はただ運が良かっただけなのだろうか。
 
こんな日本で原発を動かそうとする人達は、
一体どんな強運を信じているのだろう。
信じるというより、考えないようにしているだけなんだろうけど。
本当は7日(金)の今日、
全国で反安倍政権のデモが開催される予定だったみたいだけれど、
台風と地震の被害を考慮して来週14日(金)に延期になったそうだ。
僕も来週は久しぶりに大阪のデモに参加しようと思っている。
大阪はJR大阪駅御堂筋北口付近で19時から。
いつも通り、手ぶらで行って立ってるだけ。
気持ちが向けば声を出す。太鼓があれば少し踊る。
要は頭数になれば良い。
 
もし抗議したいことがあるなら、方法は何でも良いと思う。
アーティストであれば表現であっても良いし、
ジャーナリストだったら仕事を全うすることが抗議に繋がるだろう。
そんな中でもデモは、職や能力を問わず、
誰でも参加できる容易な抗議の手段のひとつだと僕は思っている。
もちろん、実際にデモを仕切ってくれる人達や、
毎回欠かさずに参加している人達にしてみたら容易なはずはない。
でも、全ての人が毎回行けなくても良いのだ。
みんなが代わる代わる行って、それぞれの負担が軽くなるほうが良い。
以前から自分の絵と抗議活動を上手く繋ぐことができないでいる僕にとって、
デモに行くことは唯一構えずに行える抗議の形だ。
絵描きだけど、その前に市井のひとりなのでそれで良いと思っている。
 
とにかく、それぞれが一番得意な方法でやるのが一番良い。
ただ、思っていることはなるべく体で表現した方が良い。
インターネット上で呟いているだけでは足りない。
それはきっと容易過ぎる。
どこかで体を使わないと、現実の波には対抗できないと思う。
 
抗議のテーマはいつだってたくさんあるけれど、
原発、差別、高プロ、沖縄、災害への対応、
みんな根っこで繋がっているから、みんな持って行くよ。
最低限、やれることをやっていこう。
 
今夜の神戸はまた台風のような激しい雨が降っている。
関西や北海道の皆さんが、
1日でも早く落ち着いた日々を取り戻せることを祈って。
 
 
photo : Kano Chihiro 2015/7/24 国会前

頂きもの


 
この前おすそ分けについて書いていて、
そういえば本の仕事をしたり、展示でも本屋さんにお世話になっているおかげか、
最近は本を頂くことが増えたなぁと思った。
 
「ちょっと書きこみがひどくてお店に出せないから、それなら絵を描く人にと思って。」

「良い本なんだけどねぇ、置いててもなかなか売れないから。」

「いつも頂いてばっかじゃ悪いから、僕の本も持って行ってよ。」

「これ、今日たまたま鞄に入ってたからさ。」

「貴重な本だから、ぜひ役に立ててくれる人に持っててほしいんです。」
 
頂いた本にはメッセージが付随する。
それは大きかったり小さかったり様々だけど、
触る時も、読む時も、自分で買った本とは少し違った響きを感じる。
 
どこかへ行って、誰かに会って、
少しずつ本棚に並ぶ背の色合いが変わっていくのを、
新しい本を差し込む度に眺めては楽しんでいる。
 
ちなみに二つの人形も頂きもの。
『生まれる前の生命』と『マドンナ』。
本も人形も大事にします。どうもありがとう。
 


 
今月の iTohen<昼の学校><夜の学校>、開校日は9/13(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。

おすそ分け


 
『Pictures for Books, Books for Pictures.』
先週末で無事終了しました。
お越しいただいた皆様、絵本や絵を買ってくれた皆様、
ご協力いただいた各出版社、そしてiTohenスタッフの皆様、
どうもありがとうございました。
これにて1年3ヶ月続いた『みずのこどもたち』原画巡回展は閉幕です。
生まれた子も歩き始めるであろうこの期間。
たくさんのお店、たくさんのお客さんにお世話になりました。
重ねてお礼申し上げます。
また新しい絵と本を携えてみなさんに会いに行きたいと思います。
 
最後のiTohenでは長いこと在廊し、実によく喋った。
帰り道で「喋りすぎたな」と少し恥ずかしくなるくらい。
そんなに喋る人間ではなかったはずなのに、
絵を描いている内に感覚や感情が溜まってしまい、
しかも展示中は少なからずハイになっているので、
堰を切ったように言葉がばーっと出てしまうようなところがある。
こんなとき、もうちょっとスマートにやれたら良いのになぁといつも思う。
 
展示をすることは作家から鑑賞者への“おすそ分け”だと、
iTohenの鰺坂さんから教わった。
田舎から届いた果物を近所に配るように、
描き上げたばかりの絵を外に持ち出すことで、
人の心に新しい風を吹かすようなことができるとしたら、
それはきっと絵描きの一番大切な仕事なのだろう。
 
僕のお喋りもまた“おすそ分け”だ。
期間中は特に若い人にたくさん喋りかけた。
まだ社会に染まりきってなさそうな若い人には、
過ごしやすい未来を一緒に作っていきましょうという気持ちで、
ほんの少し早く生まれた者の務めとして、
僕が絵を仕事にするまでに見てきた物事を伝えようと思った。
でも、あくまで“おすそ分け”だから、
要らなかったら家に帰って犬にでもあげてもらって構いません。
ちょっとでも面白かったと思うなら、ぜひまた他の誰かに手渡して下さい。
 
“おすそ分け”とは相互扶助の精神だ。
あげてばっかりも苦しいし、もらってばっかりもバツが悪い。
僕も皆さまからしっかりとお返しを頂いている。
しかも現金で。計7,407円。
この金額は、今展示期間中におけるiTohenの喫茶の売上総額の5%にあたる。
これはiTohenがもつ独特の作家援助のシステムで、
喫茶利用代の内5%は、毎回その時の展示作家に還元される決まりになっているのだ。
「こんな優しいギャラリーがあるんだ」と感激したのは僕だけではないだろう。
ただ、これは作家にだけ向いた優しさではなくて、
こういう形で芸術に関わることができるのだ、
という鑑賞者への意識の変化を即すためのものでもあるのだろう。
iTohenは本当に学びの多い場所だ。
こんな場所に出会えた幸運こそ“おすそ分け”しないといけないと思って、
こうして金額までつぶさに書いてみたまでです。(了解は得ています。)
 
展示明けに見た『万引き家族』の余韻を引きずるここ数日、
必要とされることへの切実さについて、ずっと考えている。
僕らにとって重要なのは、絵が売れる売れないはもとより、
まずは見てくれる人が居るかどうかなのだ。
だから、まずは興味をもってもらえるように“おすそ分け”をする。
結果お金を使ってくれたらなお嬉しい。
お金を使う場所は他でも良い。例えば、僕の“おすそ分け”がきっかけで、
他の作家の絵が売れたらそれも素晴らしいこと。
“おすそ分け”だから、お返しはそのとき返ってくるとは限らない。
忘れた頃だって構わないと、そのくらいの余裕をもつこと。
効率が悪いなぁって思う日も時にはあるけれど。
 
絵描きと、ギャラリーと、鑑賞者。
“おすそ分け”で成り立つ関係を夢想する。
 


 
年末に予定していた展示が来年に延期になったので、
少し早いですがこれで年内の個展はおしまいです。
新しいプロジェクトを形にするために、しばらく家にこもります。
こちらのページは怠けず更新していきますので、また進捗などお伝えできれば。
 
来月の iTohen<昼の学校><夜の学校>、開校日は9/13(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。
 
 
photo : Kano Chihiro

小さな自分に会いに行く


 
iTohenで開催中の『Pictures for Books, Books for Pictures.』
3週目を過ぎて、あっという間に最後の週を迎える。
お世話になった方々や、どこかで展示を知って下さった方々が
ほうぼうからやって来てくれて、お陰で楽しい時間を過ごしている。
在廊の甲斐もあってか、本もいつもより旅立っているみたいだ。
 
本が実際に買われる現場は、
こういう展示の機会を除けば、僕ら作家はほとんど目にすることがない。
ましてや購入者が家で本を開いているシーンなんてのは、もう想像の世界だ。
 
ときどき親御さんから、
お子さんがどんな風にして僕の本を読んでいるか教えていただくことがある。
例えば…
僕の名前も含めて「みちあべかいた、みちあべかいた」と覚えて、繰り返し読んでくれている子。
『みずのこどもたち』を読んだあとに、普段絵なんて描かないのに「絵の具を買って」と請うた子。
『めざめる』の最後の問いかけに対して「うさぎさん」と答えた子。
(どんな問いかけか、未見の方はぜひ本書をご覧下さい)
 
どれも皆、本当に嬉しい話だ。
嬉しい反面、「そんな良い話、本当なの?」
と心の底でちょっとまごついてしまう。
決して疑っているわけではなくて、
僕の絵本を通して子供の心に何か変化が芽生えたということが、
もちろん願っていたことであれ、何とも不思議な感じがするのだ。
 
先日は友人の娘さんが絵本を楽しそうに捲っている動画を見せてもらった。
まだ字も読めないのに、お父さんが読み聞かせたときの記憶を頼りに、
自分で声を出しながらページを捲っている。
僕は「おぉ、すげぇ」と言いながらも、
どこか信じられないような気持ちでそれを見ていた。
 
子供の目線で描く、とか、
子供の頃を思い出して描く、とか、
そんなことができたらどんなに良いだろうと思う。
僕はあまり記憶力の良い方ではなくて、
自分が幼かったころの気持ちを鮮やかに思い出すことができない。
家人の子供時代の話を聞いたりすると、
よくそんな小さな頃のことを覚えているなぁと感心して、
いったい小さな僕はどこへ行ってしまったのかと、何だか寂しい気持ちになる。
 
逆説的だけど、結局は絵を描くことで取り戻すしかないのだろう。
描いて行った先にきっと小さな自分がいると信じ、
深く掘り進むように、余計な物を剥ぐようにやっていくしかない。
 
まっとうな絵本を描きたい。
子供も大人も関係なく楽しめる普遍的な絵本を。
小さな自分に見せて恥ずかしくない絵本を。
 


 
日付変わって、本日23日(木)は月に1度の iTohen<昼の学校><夜の学校>開校日ですが、
<夜の学校>デッサン教室は台風の影響でお休みになりました。
<昼の学校>絵本創作教室は予定通り行います。お気をつけてお越し下さい。
 
『Pictures for Books, Books for Pictures.』
残りあと3日。今週末の24日(金)、25日(土)、26日(日)で終了です。
在廊日は25日(土)、26日(日)です。変わらずiTohenにてお待ちしております。

繰り返しになりますが、以下の2点、ちょっとご注意を。
 
※金土日の12:00-19:00のみの営業です。
※ご入場の際は1ドリンクオーダーをお願いします。
 
これだけのボリュームで過去作の原画を展示する機会は当分無いでしょう。
ぜひこの機会にお立ち寄りください。
 
 
photo : Kano Chihiro

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