2019.5.2
歪んだ時間のやさしさ
『古本屋エレジー』が終了してあっという間に半月が過ぎた。
どんなに楽しい展示も過ぎれば終わってしまうけれど、
今回の展示に限っては何だか未だに続いているような、
妙な余韻が依然として残っている。
店主から伺ったオヨヨ書林せせらぎ通り店で起こった様々なエピソードは、
抽象世界に浸っていた僕の絵を地上の世界へと引っ張ってくれた。
着いたのは混沌として穏やな、日常と非日常のみぎわだ。
きっと棚に並んだ古本も、飾られた僕の絵も、またお客さんやお店の方たちも皆、
このお店の持つ不思議なトーンに心落ちつく質なのだろう。
展示を振り返って色々書こうかとも思ったけれど、
代わりに店主の奈津さんの言葉を載せさせていただくことにした。
「展示の序文を書いてください」とお願いして書いてもらったものだ。
展示した19枚の絵は色や形は違えど、
全てここに書かれている「歪んだ時間」が描かせた絵だ。
こういう豊かな場所が街にあるということがどれだけ貴重なことか、
また絵を持って帰って来たいと思える場所がどれだけ有難いことか、
展示を通して一層強く噛み締めた次第だ。
守り続けてくれている奈津さんに感謝と敬意を表したい。
「古本屋エレジーによせて」
オヨヨ書林せせらぎ通り店 佐々木奈津
今回の展示にあたって海太さんがDMに選んだのは黄昏の古本屋の絵だった。
雨あがり。道はぬかるんでいる。
丘の草は倒れている。雲には昏さが、水たまりには茜の空が映る。
右手に傘を持ち、左脇に本を抱え行くひとは厚い外套を着ている。
猫はただそこにいる。見ているだけ。
絵の中のひとは、身震いをひとつして勇ましく歩く。
古本屋に流れているのは、
元の持ち主から次の持ち主に引き継ぐまでの宿りの時間だ。
おじいさんが子供の頃に読んだ絵本も、若者がつい最近読んだ雑誌も、
この宿りの中に同時に置かれる。
本は主を失ってもなお、本そのものの時間に主の歳月を絡めつかせ、内に秘めている。
古本屋に流れる時間がどこか歪んでいるように感じられるのは、
本がそれぞれに絡み合った時間を閉じ込めたまま、
何食わぬ顔で隣り合わせに並んでいるせいなのかもしれない。
同じ方を向いてまっすぐ進むことに疲れたとき、歪んだ時間はひとをやさしく包む。
黄昏の時間の中で古本屋はどうあることができるのだろう。
灯りを点けること、寄る辺なさを吸い込むこと、
混沌を見せること、隠れる場所となること、
小さな奇跡を起こすこと、、、。
まだできることが何かあるのかもしれない。
黄昏時、ものは輪郭を消して風景の中にとけ、
ひとは輪郭に縛られることなく自由にものが見えるようになる。
眩しさに疲れた目を補うように、どこか別の器官でものを見るようになる。
そのとき、ひとは望んだ光景が見えるようになるのではないか。
搬出の日、奈津さんから絵の売り上げ金を手渡しで頂いた。
お金は、前日の展示最終日の夜に奈津さんに連れて行ってもらった、
寺尾紗穂さんとマヒトゥ・ザ・ピーポーのライブのフライヤーに包まれていた。
そのときのライブがあまりに美しかったことを思い出し、
「これ、家に帰って開いたらお金じゃなくなってないかな…」
「葉っぱとか?」
「資本主義社会で使えない何かに変わってそう」
と二人して冗談を言い合ったのは、とても良い思い出。
撮影 / 加納千尋
◉ EXHIBITIONページにて『古本屋エレジー』の記録を公開しました。
撮影は加納千尋さんです。ぜひご覧ください。
◉ 『あの日からの或る日の絵とことば』の原画展が、
東京は荻窪の本屋Titleにて開催されています。
全ての原画が揃うのはこれが最後の機会だそうです。
5/7(火)まで。どうぞお立ち寄り下さい。
◉ 『はじまりが見える世界の神話』
共著者の植朗子先生との対談記事が公開中です。
昨年の原画展の際に開催されたトークイベントを文字起こししていただきました。
神話とイメージのお話です。ぜひご一読ください。
第一弾 ポポタムの回
第二弾 梅田ジュンク堂の回
◉ 4/1発売の雑誌『pen』の絵本特集に載せていただきました。
4Pとたっぷりご紹介いただいています。iTohenやnakabanさんの記事も。
ぜひ書店にてお買い求め下さい。
◉ iTohen<昼の学校><夜の学校> デッサン教室
今月5月の開校日は16日木曜日です。
昼の学校は16:00〜17:30、夜の学校は18:30〜20:00。
ご都合の良い時間をお選びください。(空いている昼がオススメです)
初心者のためのクラスです。どなたでもお気軽にどうぞ。
2019.4.3
言葉は時を超えて
オヨヨ書林せせらぎ通り店で開催中の個展『古本屋エレジー』。
長めにとった会期も今日で折り返し。
オヨヨでは三回目の展示だが、過去二回に比べてお客さんも着実に増え、
お陰様で絵も少なくない数をお買い上げいただいている。
在廊を終えた後も、店主の奈津さんがお客さんの様子やご感想をときどき伝えてくれて、
顔を知らないお客さんたちの絵を眺めるその後ろ姿をひとり想像している。
個展と共に年度を跨ぐと、桜もちらほらと咲き出した。
この春は大学を卒業してから10度目の春だ。
これといって特に節目を意識したりはしないのだけど、
今回の展示の絵を描いていたときに、ふと大学卒業間近にかけられたある言葉を思い出した。
そのとき、少しだけだが10年という歳月の妙を感じたような気がする。
デザインを専攻していた大学時代。
まだ2年生になったばかりの頃のこと。
授業で既存のロゴマークについて調べて発表するという簡単な課題が出た。
僕は当時から好きだった出版社「リトルモア」のロゴマークを調べようと思い、
ホームページから電話番号を調べ、直接会社にかけてみた。
電話をとった社員らしき男性に、学生であること、ロゴマークについて調べる課題があり、
貴社の鳥のマークについてその由来を聞きたいと伝えると、
「私の一存で答えることはできないので折り返しかけ直します。」と返事を頂いた。
こんなに丁寧に対応してくれるものなのだなぁと驚きつつ、数日が経ち、
そういえば返事がないなぁと思っていたところに見知らぬ番号からの電話。
取るとドスの効いた声が早口に告げた。
「リトルモアの孫です」
「りとるもあのそん…」と一瞬思考が巡ったのち、
「あ!写真集の奥付に名前があった人だ!」という驚きとともに、
「社長から電話がかかってきてしまった!」と極度の緊張が体を走った。
これが孫さんとの出会いだった。
マークについてひとしきり解説を受けた後、
孫さんはしばらく電話を切らずに僕に向かっていくつかの質問を投げかけた。
「デザインを勉強してるのか。おまえデザインはうまいんか?」
「あんまりうまくはないです。でも勉強中です。」
「卒業したらどうするんだ?就職するのか?
とにかく進路が決まったら俺のところまで教えに来い。」
何故見ず知らずの学生相手にこんなことを言ってくれるのか不思議に思いながら、
「決まったら必ず伝えに行きます!」とだけ答え、お礼を述べて電話を切った。
それから少し時が経ち最終学年になった僕は、
自分のデザインの才の無さに見切りをつけ、絵の道を志すことを決めた。
大学院へ進むつもりだったのだが、院からの絵画科への転科は想像以上に難しく、
それならいっそ海外でファインアートを勉強し直そうと思い、
卒業後はベルリンに渡ることにした。
卒業制作展が終わり卒業を控えた春先、僕は孫さんに手紙を書いた。
絵を描いていこうと思っていることや、ベルリンに行くこと、
日本を発つ前に一度会って絵を見て欲しいとの願いを書いて送った。
幾日か経った頃、また電話が鳴った。
原宿のカフェで待ち合わせをしたその日は、よく晴れた暖かい日だった。
孫さんは大竹伸朗のTシャツを着て、下は短パンにサンダル履きで現れた。
遠慮する僕にパスタを注文し、自分は食べたからとコーヒーを飲む。
「以前に学校の課題でお電話させていただいたこと、覚えていらっしゃいますか?」
と尋ねると「いや、覚えてない。」との返事。
まぁそうだろう…でもそれならよくわざわざ電話をくれたものだと驚く。
持参した大きなポートフォリオを恐る恐る手渡すと、
「なんだ、緊張してんのか。何を緊張することがある。
どうせ今の段階で仕事がどうとかそういう話にはならねぇからな。」
と言ってパラパラと一通り目を通してくれた。
確か絵の感想は何も聞けなかったと思う。
代わりに「絵で食ってくのはなかなか大変だぞ。」と言われ、
やっぱりそうなのかなぁと体を固くする僕に、孫さんは続けてこう言った。
「絵で食うには、やっぱり人が飾りたいと思う絵を描かなきゃだめだからな。」
この言葉を聞いた当時の僕は、
「何でそんなつまらないことを言うのだろう。」とひどく困惑した。
芸術的な写真集を数多く手がけ、アートブックの先端を行く出版社の社長が
「人が飾りたいと思う絵を」なんて言うことがとても意外だった。
これからアートの世界で生きていこうとたぎっていたあの頃の僕にとって、
絵とは、自分の感情や美意識を吐露する場所でしかなかった。
それは見知らぬ誰かの生活とは遠くかけ離れたものだった。
この10年、多くの出会いや出来事が僕の絵に対する姿勢を変えてきた。
それに加え、誰かが発した何気ないいくつかの言葉は、
必要な時に決まって記憶の底から浮きあがり、ときに背中を押し、
ときに頭をはたき、ときに胸をしめつけ、そうやって僕の絵を作ってきた。
「絵で食うには、やっぱり人が飾りたいと思う絵を描かなきゃだめだからな。」
長いこと棚に上げられていたこの言葉が、
この度の展示を準備するなかで急にちらつき出したのは、
ようやく僕がその言葉の意味を理解できるところまで辿り着いたからだろう。
「飾りたいと思う絵」を、媚びて描かれた絵としか見なかったあの頃に比べ、
絵を「飾る」ことの切実さと、「飾る」ことで絵が
どのような存在に変わっていくかを少なからず知った今、
絵描きという仕事の意義と面白さを一層強く感じる。
絵とは生活の中に飾られるものだ。
例え焼けて色がくすんだとしても、その価値は時と共に増していくはずなのだ。
売れていった絵が、それぞれ充てがわれた場所で、
どうやって時を過ごしていくかを想像することに喜びを覚え始めた僕は、
自分のために描くことと、人のために描くことの境目が、
ここにきて大分ぼやけてきていることに気づいた。
言葉というものは、
人の寿命の何倍も長生きするから、ちょっと放っておかれたり、
ちょっと忘れられたぐらいではその力や鮮やかさを失うことはないのかもしれない。
あの春の日の帰り際、午後の陽光きらめく原宿駅前の交差点を渡りながら、
「おまえが有名になったらまず俺のところから本を出せよ。」
と孫さんは言った。その言葉は冗談のようにも聞こえたし、本気のようにも聞こえたのだが、
結局それから7年経って、僕の処女作は本当にリトルモアから出版された。
それは今振り返ってもまったく不思議なことのように思うし、
一方でなるべくしてなったことのようにも思える。
出版が決まって久しぶりに再会した孫さんに、
「以前にお会いしたとき、まずは俺のところから本を出せよって言ってくれたの、覚えてますか?」
と尋ねた。孫さんは案の定「覚えていない。」と答えた。
そのとき僕は思わず笑ってしまった。
◉ 個展『古本屋エレジー』
金沢はオヨヨ書林せせらぎ通り店にて開催中です。
会期は4/14(日)まで。最終日は16:30までなので、どうぞご注意ください。
4月の在廊は13日(土)と14日(日)。最後の週末は会場でお待ちしております。
◉ 4/1発売の雑誌『pen』の絵本特集に載せていただきました。
4Pとたっぷりご紹介いただいています。iTohenやnakabanさんの記事も。
ぜひ書店にてお買い求め下さい。
◉ SUNNY BOY BOOKSの6周年記念展『大模写展』に参加しています。
こちらは4/18(木)まで。大勢の作家さんが近代絵画を模写するという、
ちょっと風変わりな展示です。僕はクレーの絵を模写しました。
ぜひサニーまで覗きに行ってみてください。
◉ 昨夏、ポポタムにて開催した
『はじまりが見える世界の神話』原画展でのトークイベントが記事になりました。
創元社が立ち上げた創元社note部というwebページでご覧いただけます。
主に神話と芸術の親和性についての話です。ぜひご一読下さい。
創元社note部
◉ iTohen<昼の学校><夜の学校>4月は11日(木)が開校日です。
4月度より昼・夜クラス共に「デッサン教室」に変更になります。
昼の学校は16:00〜17:30、夜の学校は18:30〜20:00。
ご都合の良い時間をお選びください。よろしくお願いします。
2019.3.19
ぼんやりと個展前
「今回こそは本当にだめかもしれない…」
律儀なくらい毎度毎度、必ず落ち込む個展前。
それでも絵というものは、時間がくれば仕上がるものなのだなぁとつくづく思う。
今回は19枚のタブローを描き、珍しく自分で簡単な額装もした。
粗野な額に収まった絵はむき出しだったときに比べ、
何故かこれから古くなる姿をより想像させた。
まるで古びる準備を済ませたかのようにも見えた。
明日の搬入に備えて絵を送ってしまうと、アトリエは急にがらんとして、
まるで込み入った夢からようやく目覚めたような、ひどくぼんやりした気分になった。
明朝、大阪からバスに乗って金沢へ向かう。
どんな音楽を聴きながらゆこうかね。
オヨヨ書林せせらぎ通り店にて『古本屋エレジー』は木曜日から始まる。
店主の奈津さんと電話。まだ少し寒いから、重ね着できる服で来てくださいとのこと。
お越しになる方、どうぞ暖かくしておいでください。
◉個展『古本屋エレジー』
金沢はオヨヨ書林せせらぎ通り店にて、3/21(木/祝)より始まります。
3月の在廊は21日(祝/木)、23日(土)、24日(日)の終日です。
久しぶりに全作描き下ろしの絵が並びます。ぜひお立ち寄りください。
◉ 『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)
ただいま京都のnowakiにて原画展を開催中です。4/1まで。
僕の原画は販売もしています。(売り上げの10%は震災関連の支援に寄付されます)
錚々たる執筆陣の原画がまとめてご覧いただけます。ぜひ。
◉ フリーペーパー『鷗』1号
各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです