あの日からの或る日の絵とことば


 
昨日は1日だけ営業活動のために東京に居た。
火曜の夜にバスで東京に向かい、
いつも通り銭湯で朝風呂に入ったあと、
出版社やデザイナーの方に絵の持ち込みをして回り、
そのまままた夜行バスに乗って小雨降る神戸に戻った。
 
昼まで休もうと布団を敷いて寝ていると、
「あべさーん」とヤマトのおじさんに起こされて、
小さなダンボールの包みを受け取る。寝ぼけてお礼を言いそびれる。
『あの日からの或る日の絵とことば』がようやく届いたのだ。
すると玄関の扉を閉めたと同時に、窓の外に黒い影が現れ「にゃー」と僕を呼んだ。
 
仲良しの野良猫「しーちゃん」は、
この冬からもっぱらうちで寝起きをするようになった。
それでも基本は野良猫なので、トイレも外だし、朝晩問わず好きに出入りをするから、
家を空けるときは外に締め出さなければならなくなる。
今の季節は寒かろうと思って、
僕は泊まりで家を空ける度にしーちゃんのためのダンボールハウスを制作するのだけれど、
今のところほとんど使っている形跡がない。
きっと猫なりのもっと賢い屋外の夜の越し方があるのだろう。
 
二晩ぶりの再会で、いつも以上に甘えるしーちゃんを膝に乗せながら、
『あの日からの或る日の絵とことば』を読む。
32人の絵本作家が絵と言葉で振り返る東日本大震災のこと。
それから続いていく日々のこと。
 
「震災についての本を出すので絵と文章を書いてくれませんか。」
筒井さんからの依頼は、わかっていたけれどやはり大変な仕事だった。
絵が浮かばないので、まずは文章を仕上げることに決めたのだけど、
いったい何について書くべきなのかがわからない。
これを書かなければと筆をとれば、
いやこれを書くならばこのことにも触れなければと逡巡し、
はたまたこれをこんなに軽く扱って良いものかと悩み、
そもそもこれを書く資格が自分にあるのだろうかと落ち込む日々。
たった1200字の中で全てを書ききることは無理だとわかりながら、
どの出来事も容易に切り捨てられるようなものではない。
膨らむ字数に途方にくれながら、僕は未だにあのときのことを捉えられていないのだと知った。
 
何度も何度も書き直し、最終的に出来上がったのは「故郷の喪失」についての文章だった。
これは僕の創作、もといアイデンティティに関わる(たぶん最も)重要なテーマだ。
幼少期を過ごした新興住宅地についての記述は、
僕ら世代には似たような経験を持つ人も少なくないと思うが、どうだろう。
正直なところ、伝えたいことを表現し切れた自信は、こうして読み返している今も湧いてはこない。
でもそれで良い、と言い聞かせる。
やりきった、と思えないこともこの仕事に対するひとつの答えなのだ。
一人で答え切れるものでないからこそ、これだけの人が集められたのだから。
 
今回の原稿で僕は「死」というものに直接触れていない。
触れたくなかったのではなくて、触れることができなかったのだ。
あれだけの人が亡くなった震災を、「死」を置いて語ることはできないと思った一方で、
それを語るに僕はあまりに「死」を知らないと思ったのだ。
そんな執筆時に生じた無力感を救ってくれたのは、
まさしく今しがた読んだ、同じく執筆者の坂本千明さんの文章だ。
坂本さんとはほとんど挨拶程度しか交わしたことがないし、
お話に出てくる方々は一人として知らないのだけれど、
坂本さんの言葉は僕の抱える見えない不安をすっと掬い取ってくれたような気がした。
この本が読まれ始めれば、きっとこういうことがたくさんの人の上で起こるのだろう。
 
あれから8年が経ち、東京から神戸に越して3度目のこの冬、
僕は生まれて初めて自らの膝の上で猫が眠ることの幸福を知った。
今まで猫と暮らした経験のない僕にとって、それはひとつの事件だった。
膝の上でぐなぐなと丸まったり伸びたりする猫の柔らかさ、暖かさや、
小さく浮き沈みする背中は、「生」の尊さと壊れやすさをそのままかたちにしたようだ。
今もしーちゃんのおなかを撫でながら、
これからもこうやって不安と希望に挟まれながら時は過ぎてゆくのだなぁと思いに耽ている。
もうすぐまた3月11日がやってきて、そしてすぐに僕は33歳になる。
先輩方の絵や文章を見ながら、もし10年後に同じ依頼がきたとして、
もうちょっと確かなことが書けるか、描けるだろうかと考えてみる。
そして、いやいや10年先のことなんて何一つ予想できないと学んだだろう、と慌てて思い直す。
本当の本当は明日だってわからないんだぜ。なあ、どうするよ、しーちゃん。
寝ているしーちゃんは、ちょっと鬱陶しそうに高い声で鳴くだけだ。
 
さあ、そろそろ夕ご飯の支度でもしようか。
腹が満たされたなら、また春に向けて絵を描こう。
あの日からの或る日はまだまだ続いていくようだから。
 


 
『あの日からの或る日の絵とことば』(創元社)、3/6に発売です。ぜひ書店にてご注文ください。
 
◉個展『古本屋エレジー』、オヨヨ書林にDMが届いたようです。もうすぐに配布できるかと。
ぜひ春の金沢へお越しください。
 
フリーペーパー『鷗』1号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 
iTohen<昼の学校><夜の学校>来月は3月14日(木)の開催です。
初心者のためのクラスです。ぜひお気軽にご参加ください。

古本屋エレジー


 
約半年ぶり。久しぶりの個展が、
金沢はオヨヨ書林せせらぎ通り店にて3/21(木/祝)より始まります。
全作描き下ろしの作品を展示販売します。
タイトルは『古本屋エレジー』です。
 
オヨヨ書林せせらぎ通り店では過去に二度の展示をさてもらったが、
どちらも本の出版記念の展示だったので、
全作描き下ろしの展示は三度目にして初めてだ。
古本屋なので、本や言葉をテーマに展示を企画しようと思っていたところ、
たまたま店主の奈津さんが書いたお店についての文章を読む機会があり、
その文章に心惹かれた僕は、奈津さんの言葉を絵の題材にすることを思い立ち、
一緒に展示を作ってくれませんか、とお願いをした。
 
年末、ちょうどクリスマスで街が賑わっている頃に金沢を訪ねて、
お店が閉まった後、焼き鳥をご馳走になりながら、
お店や本についてインタビューをさせてもらった。
奈津さんはとてもとても優しい人で、
いつも展示の際にはこちらが恐縮するぐらい、本当に色々とお世話してくれる。
車に乗せてもらって遠くに餃子を食べに行ったり、
(第7ギョーザというとてもおかしくておいしいお店がある)
温泉に連れて行ってくれたり、お家に泊まらせてもらったり。
そんな中でお店や本の話はいくらか聞いてきたけれど、
この日はそんな友人同士の会話とは違う、
ひとつの仕事を共に遂行するパートナーとして、古本屋の店主の話を改めて聞かせてくれた。
 
伺ったエピソードはどれも珠玉のごときもので、
古本屋というのはこれほどまでに多様な人生が交差する場所なのかと驚いた。
「あ、そういえばこんなことがありました。」
数珠つなぎに辿られる、忘れられない本や思い出深いお客さんとのやりとり。
そのほとんどの話が哀切なトーンを帯びていたことが、
店主のやさしい人柄をそのまま象徴しているようだった。
あまりにプライベートな内容なのでここに記すことはあきらめるけど、
奈津さんの古本屋は、まるで社会の流れからこぼれ落ちてしまいそうな人たちが、
自然と身を寄せるような場所になっているのかもしれない。
僕はまるで1冊の私小説を読んだような満ち足りた気分のまま、バスに揺られて神戸に帰った。
 
もしかしたら、僕は奈津さんの中にある何かの栓を引き抜いてしまったのかもしれない。
年が明けてからも、次々と新しいエピソードがメールで届けられた。
掌に乗るようなほんの小さな話もあれば、何度かに分けて送られてくる長い話もある。
僕は今、それらを自分の中で一度咀嚼して、
そこから新しいイメージをつかもうと試みている最中だ。
エピソードは合わせ鏡のように反射している。
その一番向こうに何が映るのかを僕は見たいと思う。
 
 
『古本屋エレジー』
会場: オヨヨ書林せせらぎ通り店
会期: 3/21 (木/祝) – 4/14(日)月曜休み
時間: 11:00-19:00 ※最終日は16:30まで
在廊予定日: 3/21(木),23(土),24(日), 4/13(土),14(日)
 


 
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初心者のためのクラスです。ぜひお気軽にご参加ください。

400才のサメの部屋には絵が掛かっている


 
少し時間が経ってしまったけれど、
先月末に公演が無事終了した彫刻とダンスの舞台『400才』(荒悠平・大石麻央)について、
舞台の感想というより、関わった美術の仕事を通して考えたことを書き留めておく。
 
「400才のサメが暮らしている部屋を作ろうと思ってるんだ。
そこに絵を飾りたいんだよね。」
昨夏、夜の神保町の喫茶店で、友人からのそんな一風変わった依頼を聞きながら、
「これはなかなか良い仕事だなぁ…」という想いがじわじわと湧いてきたのをよく覚えている。
何が良いかって、400年も生きた者が家に絵を飾っているとしたら、
それは絵描きにとってなんて希望に満ちた話なのだろうと思ったのだ。
 
400年。
それはつかめそうでつかめない、現実と非現実のちょうど間くらいの長さに思える。
どちらにしても長い時間だ。
昨年北極海で発見されたという齢400才のサメに友人が惹かれたのは、
もしこれだけ長く生きねばならない人生(サメ生)があるとしたら、
いったいどんなものかと想像せずにはおれなかったからだろう。
 
400年。
どんな感じなのだろう。
友達と久しぶりに会って、200年くらい前のこととか、話すんだろうか。
100年ぶりに好きな小説を読み返したり、するんだろうか。
想像するだけじゃ物足りなくて、サメになったつもりで考えてみる。
サメの偽物になって、生活をしてみる。
1年は長く、10年は短い。
泳ぐことにも、歩くことにも、飽きる。
毎日は静かに過ぎる。
笑ったり、泣いたりは、続けている。
いつのまにか、400年が経っている。

(『400才』概要より)
 
劇中、サメをとりまく時間はとてもゆっくりと流れていた。
極端に長い時間をかけてコーヒーを淹れる。
壊れた椅子や机で遊ぶ。用のない手紙を書く。自作の歌を歌う。
僕はそのひとつひとつの行為の背景に、
「別れ」や「喪失」をどうしても想像してしまう。
 
そんなサメの部屋に絵が掛かっている。
買ったのか。貰ったのか。
いったいどんな経緯で絵が飾られたのだろう。
なんだかとぼけたような顔つきのサメだけれど、
400年という歳月はそれだけで十分彼を賢者たらしめる。
きっと僕らより色々なことをわきまえているのではないか。
だから意味も理由もなく、ただ賑やかすためだけに絵を飾ったりなんてしないだろう。
ある日、あるとき、何かの必然があって彼のもとに絵がやって来たのではないか。
悩んだ末、僕はサメの故郷の景色を描いた。
本当の故郷は遠くとも、代わりに故郷を回顧できるようなイメージを生活の傍に置く。
それはなんだか真っ当な絵のあり方のようにも思えた。
 
絵は美術館にあるものだと勘違いしている人が圧倒的に多い今の日本で、
400才のサメの部屋に絵が掛かっていることの意味を考える。
100年、200年、300年。絵と共に暮らす日々を想像してみる。
それは「何も起こらないけれど、ただずっとある」という絵の持ち味が、
いかに有効であるかを指し示すひとつのビジョンなのではないかと僕は思う。
このなんとも穏やかなビジョンは、絵がただの見世物ではなく、
流れゆく生と共にあるべきものだということを改めて教えてくれる。
 
上演後、舞台に上がって彼の部屋の中に入ってみた。
部屋には棚が一つ。そこに置かれた本、CD、コーヒーカップ、花瓶と生花。
そして壁にかかった絵。
賢者だと思っていた彼の部屋は、僕の部屋と大して変わらないみたいだった。
 
撮影 / 加納千尋
 


 
フリーペーパー『鷗』1号、各店舗にて配布中です。お手にとっていただけたら嬉しいです。
 
◉先週木曜は iTohen<昼の学校><夜の学校>開講日でした。お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。
来月は3月14日(木)の開催です。次回もぜひお気軽にご参加ください。

フリーペーパー「鷗」 創刊


 

 

 
フリーペーパーを創刊しました。
名前は「鷗」(カモメ)といいます。
一枚の絵と一つの短い物語、それから僕自身の展覧会や刊行物の案内を載せたものです。
季刊を目標に、これから定期的に発行していきます。
 
ひとえにフリーペーパーといってもその形は様々ですが、
先に書いた通り「鷗」はとても個人的なもので、
何かを取材したり、寄稿を頂いたりせず、僕の創作と告知のみで構成されています。
理由は僕自身の宣伝チラシであるということがひとつ。
もうひとつは記事が列挙されているような雑誌的なものではなく、
余白のある手紙のようなものを作りたかったからです。
 
たかが二つ折りのペラペラの紙切れではありますが、
もしよかったら、お部屋の壁にしばし貼り付けたり、
引出しの中にしまったりして、たまにふと眺めてくれたら嬉しいです。
もちろんどんな読み方をされても良いのですが、
情報が目まぐるしく流れては消えていく今の世の中で、
少しでも絵や言葉が留まっていられるような場所になればと思っています。
 
「鷗」は下記の書店やギャラリーに置いていただきます。
連休明けに発送しますので、順次置いてくださると思います。
どちらも僕の本や絵がお世話になっているお店です。
この津々浦々のお店やお店の方々、
またお客さんとの出会い無くしてこのフリーペーパーは生まれませんでした。
「鷗」をきっかけに誰かが書店やギャラリーに足を運んでくれたなら、
それはわざわざ紙に刷った甲斐があったということです。
ぜひそれぞれの場所でお手に取っていただきながら、
そのお店で楽しいひとときを過ごしてもらえればと思います。
 

【設置店一覧】

〈東京〉
SUNNY BOY BOOKS (学芸大学)
ブックギャラリーポポタム(目白)
URESICA (西荻窪)
本屋Title(荻窪)
Quantum Gallery & Studio(都立大学)
青山ブックセンター本店(青山)

〈北陸〉
北書店(新潟)
オヨヨ書林せせらぎ通り店(金沢)

〈中部〉
本・中川(松本)
栞日(松本)

〈関西〉
iTohen(大阪)
blackbird books(大阪)
恵文社一乗寺店(京都)
nowaki(京都)
善行堂(京都)

〈中国〉
READAN DEAT(広島)

〈九州〉
ブックスキューブリック箱崎店(福岡)
ナツメ書店(福岡)
長崎次郎書店(熊本)
橙書店(熊本)

 
これは渡りの紙切れ。
カモメのように羽を広げてあなたの町までやって来ました。
やあ、おひさしぶり。やあ、はじめまして。

 


 
◉しばらくお休みしていたTwitter(@abekaita)を再開しました。
以前はSNSに頼り過ぎて苦しくなってしまったのですが、
フリーペーパーを作ったことで、もう少しバランスよく付き合っていける気がしています。
以前と変わらず展示や仕事の告知を中心に発信していきますので、
またお付き合いいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
 
◉美術のお手伝いをしているダンスと彫刻の舞台 『400歳』
いよいよ今月末に新宿眼科画廊地下にて開演です。
1/25(金)-29(火)の期間、連日公演があります。
総合芸術的マジカル。お勧めです。ご予約はお早めに。
 
◉今週1月17日(木)は iTohen<昼の学校><夜の学校>の開校日です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎。
ぜひお気軽にご参加ください。

いつでも会える人なんて何処にもいない


 
今年はもっと色々な人に絵を見てもらう年にしよう。
新しい年を迎え、そんな目標を立ててみた。
 
昨年は出版した自著の力を借りて色々な土地とお店を廻らせていただいた。
出会った人々との新たな関係も生まれ、それは代え難い喜びに満ちた日々だった。
相性の良い本屋やギャラリーはすぐにわかる。展示もうまくいく。
そんな場所がいくつか見つかったおかげで、
もうこの範囲で回っていれば楽しく生きていけるような気さえした。
けれど、ここでもうひとつふたつ、外に開いていこうと今思うのだ。
 
理由はもちろん生活のことが大きい。
正直、まだ絵で食えているとは言い難いのが現状だ。
絵本は作るのに時間がかかる分、食いぶちになりづらい。
もっと色々な仕事に挑戦する必要がある。
 
あとは新しい表現に向けて自分に揺さぶりをかけたい。
ちょっと怪我するぐらいで良い。
 
絵は臆病者に優しいので、
ほっておくと一人きり家にこもって描けてしまうけれど、
そうやって内で発酵した物は、たまには外で陽や風に晒してあげることも必要だろう。
外に出して雨に濡れたりすることもあるだろうけれど、
それも地面に染みたら栄養になる。
その繰り返しをさぼってはいけないと、自分に言い聞かせよう。
 

年が明けて、まずはデザイナーさんに絵を持ち込んでみようと、
以前に一度絵を見ていただいたことのある方に連絡をとろうと思った。
メールを書く前に何気なくお名前を検索したところで、
その方がちょうど一年前に亡くなっていたことを知った。
若い方だったので一瞬別の人かと疑ったが、やはり本人だった。
 
5年前、まだ絵本も出していない僕が必死に売り込みをしていた頃、
ほとんどが門前払いで持ち込むことすらなかなか叶わなかった中で、
直接お会いして丁寧に絵を見ていただいたから、そのときのことはよく覚えている。
 
「まだ頼むような段階ではないけれど、伸びしろはあるから頑張ってください。」
それは静かだけれど優しい口調だった。
また新しい絵を描いたら見せに来たいと食い下がると、
「3年経ったらまた来てください。少し時間を置かないとなかなか変わるものではないので。」
と諭すように言われた。内心「3年経ったらもう30歳だよ…」と焦った僕は、つい
「もっと早く来てはだめですか?」と口にすると、
「来てもいいけど、ちゃんと変わってから来てくださいね。最低1年はみて。」
と答えてもらった。
(この頃の僕は、30歳まで続ければなんとか食っていけるという説を固く信じていた。
これは30歳までに芽が出なければその先もないということと同意だった。)
 
結局1年やそこらで大きく成長を遂げることもできず、時間も流れ、
その後に運良く決まった絵本の出版に追われたり、また引越しで東京を離れたこともあって、
再び絵を見てもらう機会をつくることはできなかった。
でも頭の片隅には「3年経ったらまた来てください」という言葉が残っていて、
大分時間は過ぎてしまったけれど、改めて、
少しは変わった今の絵を見てもらえたらと思ったのがこの年末のことだった。
ちゃんと3年後に見せに行っていたらもう一度お会いできたのかもしれない。
そしてまた別の言葉をかけてもらえたのかもしれない。
自分の不義理を恨もうと、もうその機会は二度とやってはこない。
 
1年、3年、5年。
時が確実に過ぎ去っていることを教えてくれるのは、往々にしてにこんな悲しい出来事だ。
たった一度の出会いであっても、絵を通した交流はひとつの思い出となり、
苦しい時にはまるで浮き輪のごとく息を継がせてくれる。
「伸びしろはあるから頑張ってください。」その一言に当時どれだけ勇気をもらったろうか。
せめてもの恩返しは良い仕事をすることだろう。
そしていつでも会える人なんて何処にもいないということを、忘れずにいようと思う。
 

関口信介様。その節はありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈り致します。
 


 
◉美術のお手伝いをしているダンスと彫刻の舞台 『400歳』
いよいよ今月末に新宿眼科画廊地下にて開演です。
1/25(金)-29(火)の期間、連日公演があります。
総合芸術的マジカル。お勧めです。ご予約はお早めに。
 
iTohen<昼の学校><夜の学校>新年最初の開校日は1月17日(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎。
ぜひお気軽にご参加ください。

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