イラストレーションとドキュメンタリー


 
だいぶ遅くなってしまった仕事のご報告。
 
今週水曜日のイベントでした。
『はじまりが見える世界の神話』でお世話になった
京都府立大学の横道先生に再びお声がけいただき、
ドイツからいらっしゃる神話学者の方の講演会のチラシに絵を描きました。
(関係者の皆様、告知に間に合わず申し訳ありません。)
文様めいたかっこいいデザインは、前回に引き続きSu-の角谷さん。
僕は仕事の都合で参加できませんでしたが、
タイトルからして、きっと濃厚な講演になったことでしょう。
 
本の刊行を経てからも、こうして神話と関わり続けることができてとても嬉しいし、
形のない(または形の定まらない)イメージにこうして絵をあてる仕事は、
自家発電の絵とはまた別の冥利につきる。
「やっぱり絵は必要とされているんだ」と感じるし、
人に頼まれているのをいいことに「これがぼくの仕事だ」と胸を張ってみたり。
 
そんな気持ちが芽生える時もあれば、
一方で常にどこかに抱えているのが、
一枚の絵がいったい何を変えることができるというのか、
という無力感だ。
 
先日「愛と法」という映画を見た。
iTohenの個展期間中に、たまたまこの映画の監督さんがいらっしゃって、
これも縁かと思ってその場で前売りを買っていた。
素晴らしい映画だった。
映画の中の人たちと映画を撮った人たち。
両者の視線が合わさった先に写るのは、
滑稽なまでに歪んだ社会と、それに抗う優しい人たちだ。
傷ついた者に寄り添うことを生業とし、
「おかしな世の中だよ」と嘆きながらも、
自分たちの穏やかな暮らしを慈しもうと努力する二人の姿は何より胸を打つ。
知っているつもりの問題も、
当事者の肉声が訴えるそれはまるで別次元の問題で、
“知る”ということはそんなに簡単なことではないと改めて思う。
 
みんなが幸せに暮らす権利がある。
その権利を知らぬ顔で犯そうとする社会と、どう向き合うか。
 
相変わらず真面目な話ばかりここでは書いているけれど、
映画という一つの芸術表現を使って、
ここまで真っ直ぐに捉えようとする監督の視座に感嘆を覚えたし、
またこういう表現に出くわす度に、
自分が描く絵というものの存在がどういうものなのかが
どうも解らなくなってしまい、
その混乱故にとにかく書かずにおれない。
 
ここ数年、ドキュメンタリーという表現から目が離せない。
 


 
iTohen<昼の学校><夜の学校>10月の開校日は18日(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。

彼女の畑


 
高知県は四万十町に友人を訪ねて来た。
 
神戸から高速バスに乗り、途中急行電車に乗り換え、
最後はローカル線に乗って四万十川と並走する。
1両編成の可愛らしい電車が細かく蛇行する川の上を跨ぐように進む。
計7時間程かかって着いたのは最寄りの無人駅。
 
友人の家は集落からすこし離れた山の上にあった。
神戸からこの地に移住し、古い家屋を自らの手で直しながら、
畑仕事や針仕事をしてひとり静かに暮らしている。
 
こじんまりとした、
でも一人で管理するにはなかなかの広さの畑。
真っすぐに走るような畝は見当たらず、
彼女の人柄を示すようなクネクネと交差する道と、
それらが囲む丸い形の耕地が印象的だった。
耕地はいくつかに別れているものの、
一つの作物が並ぶその間から別の作物の芽が出たりしている。
「畑の形は本当に人それぞれやね。きっと絵と一緒だよ。」
隣同士に並ぶ植物にも相性があるそうで、
そういうことを色々と実験しながら理解していくことがとにかく楽しい、
と嬉しそうに話す。
 
“ていねいな暮らし”というフレーズは、
散々撫でまわされた結果、
今では響きを失ったように思えてしょうがないけれど、
実際に営まれている現場を目の当たりにすると、
その静謐な美しさに僕は素直に圧倒される。
 
「私のやっていることは“これ”ですって、
なかなか人にうまく説明できないんだよね。」
と苦笑いする彼女。
言葉で区切ることができないのは、
それだけ彼女の振舞いが自然だからだ。
別々の作物が隣り合って育つ自由な畑は、
まるで鏡のように彼女自身を映している。
 
食べて寝て生きていくことと、仕事をすること。
全てはこの切れ目のない日常に包まれて、溶け合いながら過ぎて行く。
「ここの町の人達はみんな、川みたいにいつも流れてる感じ。」
故郷と心。それぞれに清らかな水流を湛える人たちのこと、
その一員となった彼女のことを、少し羨ましく思った。
 


 
iTohen<昼の学校><夜の学校>来月10月の開校日は18日(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。

雑記


 
大阪駅の安倍3選反対デモに行ってきた。
何でもない、小一時間ただ突っ立ってスピーチを聞くだけ。
大阪のデモは東京に比べて規模が小さい。
地方はどこもそうだとは思うのだけど、
どうしてこういう差が生まれるんだろうなぁとぼんやり考えていた。
きっと人口の差だけでは無くて、
東京からは見えて、地方からは見えないものがあるのだろう。
原発事故の影響の大きさ、そのインパクトの差もあるか。
ただ何処で暮らすにせよ、この綱は引き続けなくちゃいけない。
自分が変えられないために。
また行けるときに行く。体を使うことを忘れずに。
 
帰りに紀伊国屋で『自衛隊と憲法』(木村草太 著)を買って帰る。
林さんに薦められた本。
晶文社の<犀の教室>シリーズは2冊目。もう少し読んでいきたい。
 
 
8月の個展からまともに絵を描いていない。
新しいことを始めようと、
ずっとクロッキー帳の上で試行錯誤している。
ここ最近はもっぱら言葉と戯れている。
絵とは違う回路を使って何かを作ることが、今とても楽しい。
 
僕にとっての言葉のフィールドはまっさらで広大だ。
座標も指標もない。頼りになるものが周りに見当たらない。
そこにはただ無知と未経験が広がっている。
最初は喜び勇んで歩き出すのだけれど、
しばらくすると行き先や現在地が淡く消え失せてしまう。
絵で描けなかったものが、
言葉でなら書けるような気がしたのは始めだけ。
何でも書けるということは、
何ひとつ書けないということを早々に体感する。
 
考えあぐねた結果、
今のところの指標は“嘘をつかない”。
それから“良く知っていることを書く”。
これで少しまともになった。
この言葉たちにはこれから形を与えます。
来月中には発表できれば。
 
 
明日からしばらく高知に行ってきます。
数日ですが、久しぶりに展示とは関係のない遠出なので嬉しい。
きっと静かな場所だから、詩集を持って行こう。
善行堂で買った八木重吉が良い。
山の中で詩を読もう。

Demo for … 9/14(金)19時 JR大阪駅御堂筋北口付近


 
今回の台風は予報より大したこと無かったなぁと呑気な気持ちでいたら、
隣の六甲や大阪では大きな被害があったり、おまけに北海道では地震が起こった。
 
東京住まいだった東日本の震災のとき、
電車が動くまでの間、まだ被害の程度も知らず、
バイトの派遣先だった知らない町の駅から駅をひとり歩き、
その非日常感をただ楽しんでいたことを思い出す。
思い出す度に、同じ時間に起こった他の場所での出来事のことを考えて、
何とも言えない気持ちになる。
この差はいったい何なのだろう。
もし答えられる人がいたら教えて下さい。
僕はただ運が良かっただけなのだろうか。
 
こんな日本で原発を動かそうとする人達は、
一体どんな強運を信じているのだろう。
信じるというより、考えないようにしているだけなんだろうけど。
本当は7日(金)の今日、
全国で反安倍政権のデモが開催される予定だったみたいだけれど、
台風と地震の被害を考慮して来週14日(金)に延期になったそうだ。
僕も来週は久しぶりに大阪のデモに参加しようと思っている。
大阪はJR大阪駅御堂筋北口付近で19時から。
いつも通り、手ぶらで行って立ってるだけ。
気持ちが向けば声を出す。太鼓があれば少し踊る。
要は頭数になれば良い。
 
もし抗議したいことがあるなら、方法は何でも良いと思う。
アーティストであれば表現であっても良いし、
ジャーナリストだったら仕事を全うすることが抗議に繋がるだろう。
そんな中でもデモは、職や能力を問わず、
誰でも参加できる容易な抗議の手段のひとつだと僕は思っている。
もちろん、実際にデモを仕切ってくれる人達や、
毎回欠かさずに参加している人達にしてみたら容易なはずはない。
でも、全ての人が毎回行けなくても良いのだ。
みんなが代わる代わる行って、それぞれの負担が軽くなるほうが良い。
以前から自分の絵と抗議活動を上手く繋ぐことができないでいる僕にとって、
デモに行くことは唯一構えずに行える抗議の形だ。
絵描きだけど、その前に市井のひとりなのでそれで良いと思っている。
 
とにかく、それぞれが一番得意な方法でやるのが一番良い。
ただ、思っていることはなるべく体で表現した方が良い。
インターネット上で呟いているだけでは足りない。
それはきっと容易過ぎる。
どこかで体を使わないと、現実の波には対抗できないと思う。
 
抗議のテーマはいつだってたくさんあるけれど、
原発、差別、高プロ、沖縄、災害への対応、
みんな根っこで繋がっているから、みんな持って行くよ。
最低限、やれることをやっていこう。
 
今夜の神戸はまた台風のような激しい雨が降っている。
関西や北海道の皆さんが、
1日でも早く落ち着いた日々を取り戻せることを祈って。
 
 
photo : Kano Chihiro 2015/7/24 国会前

頂きもの


 
この前おすそ分けについて書いていて、
そういえば本の仕事をしたり、展示でも本屋さんにお世話になっているおかげか、
最近は本を頂くことが増えたなぁと思った。
 
「ちょっと書きこみがひどくてお店に出せないから、それなら絵を描く人にと思って。」

「良い本なんだけどねぇ、置いててもなかなか売れないから。」

「いつも頂いてばっかじゃ悪いから、僕の本も持って行ってよ。」

「これ、今日たまたま鞄に入ってたからさ。」

「貴重な本だから、ぜひ役に立ててくれる人に持っててほしいんです。」
 
頂いた本にはメッセージが付随する。
それは大きかったり小さかったり様々だけど、
触る時も、読む時も、自分で買った本とは少し違った響きを感じる。
 
どこかへ行って、誰かに会って、
少しずつ本棚に並ぶ背の色合いが変わっていくのを、
新しい本を差し込む度に眺めては楽しんでいる。
 
ちなみに二つの人形も頂きもの。
『生まれる前の生命』と『マドンナ』。
本も人形も大事にします。どうもありがとう。
 


 
今月の iTohen<昼の学校><夜の学校>、開校日は9/13(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。

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