頂きもの


 
この前おすそ分けについて書いていて、
そういえば本の仕事をしたり、展示でも本屋さんにお世話になっているおかげか、
最近は本を頂くことが増えたなぁと思った。
 
「ちょっと書きこみがひどくてお店に出せないから、それなら絵を描く人にと思って。」

「良い本なんだけどねぇ、置いててもなかなか売れないから。」

「いつも頂いてばっかじゃ悪いから、僕の本も持って行ってよ。」

「これ、今日たまたま鞄に入ってたからさ。」

「貴重な本だから、ぜひ役に立ててくれる人に持っててほしいんです。」
 
頂いた本にはメッセージが付随する。
それは大きかったり小さかったり様々だけど、
触る時も、読む時も、自分で買った本とは少し違った響きを感じる。
 
どこかへ行って、誰かに会って、
少しずつ本棚に並ぶ背の色合いが変わっていくのを、
新しい本を差し込む度に眺めては楽しんでいる。
 
ちなみに二つの人形も頂きもの。
『生まれる前の生命』と『マドンナ』。
本も人形も大事にします。どうもありがとう。
 


 
今月の iTohen<昼の学校><夜の学校>、開校日は9/13(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。

おすそ分け


 
『Pictures for Books, Books for Pictures.』
先週末で無事終了しました。
お越しいただいた皆様、絵本や絵を買ってくれた皆様、
ご協力いただいた各出版社、そしてiTohenスタッフの皆様、
どうもありがとうございました。
これにて1年3ヶ月続いた『みずのこどもたち』原画巡回展は閉幕です。
生まれた子も歩き始めるであろうこの期間。
たくさんのお店、たくさんのお客さんにお世話になりました。
重ねてお礼申し上げます。
また新しい絵と本を携えてみなさんに会いに行きたいと思います。
 
最後のiTohenでは長いこと在廊し、実によく喋った。
帰り道で「喋りすぎたな」と少し恥ずかしくなるくらい。
そんなに喋る人間ではなかったはずなのに、
絵を描いている内に感覚や感情が溜まってしまい、
しかも展示中は少なからずハイになっているので、
堰を切ったように言葉がばーっと出てしまうようなところがある。
こんなとき、もうちょっとスマートにやれたら良いのになぁといつも思う。
 
展示をすることは作家から鑑賞者への“おすそ分け”だと、
iTohenの鰺坂さんから教わった。
田舎から届いた果物を近所に配るように、
描き上げたばかりの絵を外に持ち出すことで、
人の心に新しい風を吹かすようなことができるとしたら、
それはきっと絵描きの一番大切な仕事なのだろう。
 
僕のお喋りもまた“おすそ分け”だ。
期間中は特に若い人にたくさん喋りかけた。
まだ社会に染まりきってなさそうな若い人には、
過ごしやすい未来を一緒に作っていきましょうという気持ちで、
ほんの少し早く生まれた者の務めとして、
僕が絵を仕事にするまでに見てきた物事を伝えようと思った。
でも、あくまで“おすそ分け”だから、
要らなかったら家に帰って犬にでもあげてもらって構いません。
ちょっとでも面白かったと思うなら、ぜひまた他の誰かに手渡して下さい。
 
“おすそ分け”とは相互扶助の精神だ。
あげてばっかりも苦しいし、もらってばっかりもバツが悪い。
僕も皆さまからしっかりとお返しを頂いている。
しかも現金で。計7,407円。
この金額は、今展示期間中におけるiTohenの喫茶の売上総額の5%にあたる。
これはiTohenがもつ独特の作家援助のシステムで、
喫茶利用代の内5%は、毎回その時の展示作家に還元される決まりになっているのだ。
「こんな優しいギャラリーがあるんだ」と感激したのは僕だけではないだろう。
ただ、これは作家にだけ向いた優しさではなくて、
こういう形で芸術に関わることができるのだ、
という鑑賞者への意識の変化を即すためのものでもあるのだろう。
iTohenは本当に学びの多い場所だ。
こんな場所に出会えた幸運こそ“おすそ分け”しないといけないと思って、
こうして金額までつぶさに書いてみたまでです。(了解は得ています。)
 
展示明けに見た『万引き家族』の余韻を引きずるここ数日、
必要とされることへの切実さについて、ずっと考えている。
僕らにとって重要なのは、絵が売れる売れないはもとより、
まずは見てくれる人が居るかどうかなのだ。
だから、まずは興味をもってもらえるように“おすそ分け”をする。
結果お金を使ってくれたらなお嬉しい。
お金を使う場所は他でも良い。例えば、僕の“おすそ分け”がきっかけで、
他の作家の絵が売れたらそれも素晴らしいこと。
“おすそ分け”だから、お返しはそのとき返ってくるとは限らない。
忘れた頃だって構わないと、そのくらいの余裕をもつこと。
効率が悪いなぁって思う日も時にはあるけれど。
 
絵描きと、ギャラリーと、鑑賞者。
“おすそ分け”で成り立つ関係を夢想する。
 


 
年末に予定していた展示が来年に延期になったので、
少し早いですがこれで年内の個展はおしまいです。
新しいプロジェクトを形にするために、しばらく家にこもります。
こちらのページは怠けず更新していきますので、また進捗などお伝えできれば。
 
来月の iTohen<昼の学校><夜の学校>、開校日は9/13(木)です。
<昼の学校>絵本創作教室、<夜の学校>デッサン教室、どちらも初心者大歓迎です。
ぜひお気軽にご参加ください。
 
 
photo : Kano Chihiro

小さな自分に会いに行く


 
iTohenで開催中の『Pictures for Books, Books for Pictures.』
3週目を過ぎて、あっという間に最後の週を迎える。
お世話になった方々や、どこかで展示を知って下さった方々が
ほうぼうからやって来てくれて、お陰で楽しい時間を過ごしている。
在廊の甲斐もあってか、本もいつもより旅立っているみたいだ。
 
本が実際に買われる現場は、
こういう展示の機会を除けば、僕ら作家はほとんど目にすることがない。
ましてや購入者が家で本を開いているシーンなんてのは、もう想像の世界だ。
 
ときどき親御さんから、
お子さんがどんな風にして僕の本を読んでいるか教えていただくことがある。
例えば…
僕の名前も含めて「みちあべかいた、みちあべかいた」と覚えて、繰り返し読んでくれている子。
『みずのこどもたち』を読んだあとに、普段絵なんて描かないのに「絵の具を買って」と請うた子。
『めざめる』の最後の問いかけに対して「うさぎさん」と答えた子。
(どんな問いかけか、未見の方はぜひ本書をご覧下さい)
 
どれも皆、本当に嬉しい話だ。
嬉しい反面、「そんな良い話、本当なの?」
と心の底でちょっとまごついてしまう。
決して疑っているわけではなくて、
僕の絵本を通して子供の心に何か変化が芽生えたということが、
もちろん願っていたことであれ、何とも不思議な感じがするのだ。
 
先日は友人の娘さんが絵本を楽しそうに捲っている動画を見せてもらった。
まだ字も読めないのに、お父さんが読み聞かせたときの記憶を頼りに、
自分で声を出しながらページを捲っている。
僕は「おぉ、すげぇ」と言いながらも、
どこか信じられないような気持ちでそれを見ていた。
 
子供の目線で描く、とか、
子供の頃を思い出して描く、とか、
そんなことができたらどんなに良いだろうと思う。
僕はあまり記憶力の良い方ではなくて、
自分が幼かったころの気持ちを鮮やかに思い出すことができない。
家人の子供時代の話を聞いたりすると、
よくそんな小さな頃のことを覚えているなぁと感心して、
いったい小さな僕はどこへ行ってしまったのかと、何だか寂しい気持ちになる。
 
逆説的だけど、結局は絵を描くことで取り戻すしかないのだろう。
描いて行った先にきっと小さな自分がいると信じ、
深く掘り進むように、余計な物を剥ぐようにやっていくしかない。
 
まっとうな絵本を描きたい。
子供も大人も関係なく楽しめる普遍的な絵本を。
小さな自分に見せて恥ずかしくない絵本を。
 


 
日付変わって、本日23日(木)は月に1度の iTohen<昼の学校><夜の学校>開校日ですが、
<夜の学校>デッサン教室は台風の影響でお休みになりました。
<昼の学校>絵本創作教室は予定通り行います。お気をつけてお越し下さい。
 
『Pictures for Books, Books for Pictures.』
残りあと3日。今週末の24日(金)、25日(土)、26日(日)で終了です。
在廊日は25日(土)、26日(日)です。変わらずiTohenにてお待ちしております。

繰り返しになりますが、以下の2点、ちょっとご注意を。
 
※金土日の12:00-19:00のみの営業です。
※ご入場の際は1ドリンクオーダーをお願いします。
 
これだけのボリュームで過去作の原画を展示する機会は当分無いでしょう。
ぜひこの機会にお立ち寄りください。
 
 
photo : Kano Chihiro

僕が絵について喋るワケ


 
 
先週末のオープニングトークを経て、ゆったりと展示が走り出した。
僕もiTohenの鰺坂さんも二人して早口なので、
まるでまくし立てるように喋ってしまったけれど、
そのうちのほんの少しでも、1フレーズでも持って帰っていただけたなら嬉しい。
 
絵の印象とのギャップがあるのか、
「意外とよくしゃべりますね」とか、
「画家なのに弁が立ちますね」などと言われることがある。
そう言われて特に良い気も悪い気もしないのだけど、
それはきっと「画家=無口」というステレオタイプ的なイメージに加え、
芸術を言葉で語ることへのタブー感、もとい苦手意識が多くの人の根底にあるのだと思う。
 
 
ここ数日、鰺坂さんが貸してくれた
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(山口周著/光文社新書)
という本を読んでいる。
“論理”や“理性”に重きを置く「サイエンス」を武器に成長を続けてきた企業が、
昨今では軒並み閉塞的な状況に置かれている。
その現状を打破するためには、数値では計ることのできない“直感”や“美意識”に頼る
「アート」の力が有効である、というのがこの本の要旨。
コンサルを生業にしている著者から、
美術の世界から離れた場所で働くビジネスマンに向けて書かれた文章は、
とても明解で説得力があり、勤め人ではない僕でも構えることなく読み進めることができる。
 
大変読み易いうえ、書かれている主張に関しても全面的に同意できるのに、
どうも読んでいて息苦しさが募るのは、
現代の社会においていかに芸術が軽視されているか、
改めて突きつけられた感じがするからであろう。
様々な偉人たちの言説や科学的な実験結果を引用しながら、
こんなにも懇切丁寧に“直感”や“美意識”の重要性を説明しなければならないということは、
翻ればそれ程までに今の世の中が“直感”や“美意識”に対し無頓着であるということの証明だろう。
示唆的な文言を拾いつつも、どうしてもため息が止まらない。
 
 
様々な問題に対して“直感”や“美意識”を頼りに意思決定すること自体、
芸事に関わる人間にとってはあまりにも当たり前なことである。
ただ、それを当たり前とくくってしまうことが、結局はこのような分裂を助長する。
僕にとっての常識が、大手企業に勤めるサラリーマンの常識と重なるとは限らない。
(むしろ重なるところを探すほうが難しいかもしれない)
デザインを学んでいた学生時代にある教授が言っていたことを思い出す。
「社会に出たら、絵でのコミュニケーションは万能ではないということがわかると思うよ。
君らが思っている以上に伝わらないから。そのときに言葉が必要になるんだ。」
 
「『アートの有効性』なんて、今更何言ってんだ!そんなもの自明の理ではないか!
なのにみんな一向に気付かないじゃないか!だからこんな世の中なんだ!」
と、大声で吐き捨てたいのが正直な気持ちだ。
でも、そもそも相手は“自明の理”とは思っていない。違う言葉が必要だ。
僕は山口氏のようなクールな言葉は持ち合わせていないけれど、
絵を描き終えるまでの間に熱し続けた言葉なら持っている。だからそれを使う。
 
 
ここ最近、展示を企画する際は意識的に音楽や食が絡むイベントを打たないようにしている。
理由はいくつかあるのだけれど、一番は展示している絵を静かに見ていただきたいからだ。
イベントは一時の盛り上がりをつくることができる反面、
その間は展示している作品が置き去りにされている場合が多い。
僕にとって、あくまで展示の主役は壁にかかっている絵であって、
主役を食ってまで音楽を鳴らしたり食事を用意したりする必要性を今は感じていない。
ただ、どこかで人が集るポイントをつくるのも展示においては大切なことだとわかっている。
そこで、派手なイベントを打たない代わり、しつこいまでにトークイベントを行っている。
 
トークイベントの良いところは、
他のイベントと違ってあくまで展示されている絵が主役のままで居ることだ。
しかも話が終わったあとで、もう一度絵を見てもらうこともできる。
トーク前と後では絵の見え方が少なからず変わるはずで、
絵がより身近に感じられる場合もあるだろうし、
より複雑に感じられる場合もあるだろう。どちらも素晴らしいことだ。
絵には言語化できない領域が確実にあるけれど、
だから絵を語るべきではないとは思わない。
絵の廻りを旋回することでその輪郭をなぞることはできると思うし、
絵に限らずどんな分野でも、その言語化できない中心の部分を
じっと見据えるための言葉というのものがあると僕は思っている。
 
多くのお客さんから「絵のことは良くわからないんだけど」というセリフを聞く。
これは、原画に触れる機会をあまりにつくらなかった美術教育の過ちが言わせたセリフだ。
でもそういうお客さんの中には、その後に続けてちゃんと自身の感想を伝えてくれる方も多い。
知識や経験の有無に関わらず、そうやって自分の言葉で語るだけで十分なのだ。
むしろ、ぼくら作家はそういう言葉こそ聞きたいのだ。
そこでふと思う。これは逆の立場でも言えることなのではないか。
作家こそ、ちゃんと自分の言葉で語っているだろうか。
借りた言葉ばかりしゃべっていないだろうか。
口下手だからと口を閉ざしていないだろうか。
 
 
アーティストを取り巻く環境は相変わらず過酷で、
救いの手はそうそう降りてこない。
かの本が出版されていることを考えれば、少しずつ状況は変わって来ているのだろうが、
その効果が僕らのような末端の作家にまで届くにはまだまだ歳月を必要とするだろう。
結局は自力で何とかしていくしかない。
ただ絵を描くだけで足りないのなら、僕はこれからも絵について喋り続ける。
しつこく。しつこく。
 
皆が同じように振る舞う必要はない。皆それぞれのやり方を見つけたら良い。
僕が否定したイベントだって、もちろんひとつのやり方だ。
何にせよ、表現を伝えるうえで大切なのはうまさや流暢さではない。
血が通っているかどうかだ。
その誠実さが最後は作家を救うはずだから。
 


 
書いていたら夜が明けてしまった。
『Pictures for Books, Books for Pictures.』
本日11日(土)も在廊日。iTohenにてお待ちしております。
今後の在廊日は以下の通り。
11日(土)、12日(日)、17日(金)、18日(土)、19日(日)、25日(土)、26日(日)。
基本的に終日在廊しますが、4日(土)と25日(土)は13時過ぎからの予定です。
それから繰り返しになりますが、以下の2点、ちょっとご注意を。
 
※金土日の12:00-19:00のみの営業です。
※ご入場の際は1ドリンクオーダーをお願いします。
 
僕は寝坊に気をつけます。
 
 
photo : Kano Chihiro

4 years ago


 
iTohen搬入日。
『みち』の原画を久しぶりに壁にかける。
 
『みち』が出版されたのは2016年。
ただ、それより前に私家版として刊行していたので、
実際に原画を描いたのは14年夏のこと。
まだ東京の下町の古いアパートに住んでいて、
狭さのために居間とアトリエが渾然一体となるなか、
家人の洋服を絵の具で汚して怒られながらも日々絵を描いていた。
アルバイトがつらかったけど、Kiteの活動も少しずつ熱を帯びてきていて、
本を作ることへの情熱でなんとか毎日をやりすごしていた。
 
あれから4年。
28歳から32歳になった。
相変わらずガキだなぁとも思うし、もうガキじゃねぇしな、とも思う。
 
過去の自分が今の自分の絵を見たときにどう思うか、ときどき想像してみる。
きっと怪訝な顔をするだろうな、と想像する度に思う。
「そんな顔をしないで欲しい。確かに、少し絵は丸くなってきたよ。
でも、それは悪いことじゃないんだ。逃げでもない。
動物もよく描くようになった。まだあんまり得意じゃないけどね。」
 
今よりいくばくか素直な筆跡を見て、少しむず痒い気持ちもあるけれど、
もう一度自己紹介するのには悪いタイミングではないだろう。
新しい本も出たし、引っ越して友達も増えた。
僕の知らないところで本を買ってくれている人もほんの少しはいるだろう。
そんなみなさんに改めて、僕のこれまでとこれからをお見せしたく思います。
 
こんにちは。はじめまして。お久しぶりです。
 


 
『Pictures for Books, Books for Pictures.』
梅田のiTohenにて、日付変わって本日3日からスタートです。
僕の在廊日は、4日(土)、5日(日)、10日(金)、11日(土)、12日(日)、
17日(金)、18日(土)、19日(日)、25日(土)、26日(日)です。
基本的に終日在廊しますが、4日(土)と25日(土)は13時過ぎからの予定です。
4日(土)は17時からオープニングトークがありますので、そちらもぜひお気軽にご参加下さい。
詳細はiTohenまで。それから以下の2点、ちょっとご注意を。
 
※金土日の12:00-19:00のみの営業です。
※ご入場の際は1ドリンクオーダーをお願いします。
 
みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

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