この旅は気楽な帰り道

最近は息つく暇も無く、あっちへ行ったりこっちへ行ったりで、
おかげで先日はバスのチケットをとり間違え、名古屋から神戸まで在来線でトコトコ帰った。
 
市内から出発した電車。
30分も乗ると外はどんどん明かりが少なくなり、
気付けば満員だった車内は既にまばらになってきている。
もう30分乗れば、目を凝らしてもガラスに映った自分しか見えない程に闇は落ちて、
それに反して車内の明るさが妙に寒々しく目に映る。
随分懐かしいこの感じ。
 
幼少から高校までを過ごした埼玉の田舎。
池袋から乗って終点まで1時間と少し。
車窓に流れるゆっくりと深い夜のグラデーションは、
自分が思うよりずっと記憶の底に染み付いているみたいだ。
灯りに照らされぽっと浮かび上がった誰も降りないホームの愛おしさよ。
この感傷で、払ってしまったバス賃の元はとった気がする。
 
 
そんな風にして、6月もまた新しい町へ。
全国巡回中の『みずのこどもたち』原画展。
第十二箇所目は信州長野は松本にて、本・中川と栞日の2店鋪同時開催です。
 

 
『みずのこどもたち』原画展 / こどもたちよ どこへゆく @ 本・中川 & 栞日
会期は6/16〜7/1。店鋪のお休みはそれぞれ異なりますので、詳しくは上記リンクよりご確認下さい。
在廊日は検討中なので、また追ってお伝えします。
 
今展示は、昨年5月から始まった全国巡回『みずのこどもたち』原画展の言わばセミファイナルです。
次回8月を予定している大阪iTohenでのフィナーレは、また少し違った形の展示になる予定で、
『みずのこどもたち』原画展というタイトルはこれで一応最後になります。
長い間多くの人や場所にお世話になりました。
あと少し、どうぞよろしくお願いします。
 
松本はどんな町だろう。
あまり検索してはいけないよ。あまり準備してはいけないよ。
絵を描くだけ描いて、あとは体と一緒に持って行くだけ。
 
“ああ この旅は気楽な帰り道
野たれ死んだところで 本当のふるさと
ああ そうなのか そういうことなのか”

(ナビゲーターより)
 
絵の旅は楽しい。

blackbird booksは小さな本屋


 
先日の日曜日でblackbird booksで開催していた『はじまりが見える世界の神話』原画展が終わりました。
雨降りもありましたが、そんな中でもお越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
絵を見て、何かを持って帰っていただけたなら嬉しいです。
 
僕自身も絵が壁にかかった姿が見れて嬉しかった。
アトリエの汚れたイーゼルに乗っていたときに比べて、
白壁に飾られた彼らは幾分凛々しく見えた。
この、絵が自分の手を離れてゆく感じが好きだ。
絵が自分で呼吸をはじめる感じが好きだ。
呼吸の質は、当然まわりの空気にかかっている。
blackbird booksのおかげで絵は気分良くこの3週間を過ごせたに違いない。
 
blackbird booksは小さな本屋だ。
でも、狭い本屋ではない。
清潔な店内には穏やかな外光が入り、
古い本も新しい本も皆それぞれのやり方で前を見据え、
格好つけず、でも本であることに誇りを持ちながら、
じっと棚に収まっている。
 
ガラス戸の前を子供が風船を持って走り去る。
少し先で風船の割れる音と、泣き声が聞こえる。
 
もし泣き止むのが難しければ、悲しさが止まらなければ、
そのときはちょっと引き返してその扉を開ければいい。
そうしたら、そこには余計なことは聞かない静かな店主と、
君を励ますための言葉を持った本がたくさん並んでいるから。
どれを取ってもいいよ。
大丈夫、みんなあのお兄さんが選んだ本だから。
 
 
photo : Kano Chihiro

あれから2年と3ヶ月

6月の展示のお知らせ。
まだ大阪での原画展が開催中ですが、
『はじまりが見える世界の神話』原画展、来月は東京で開催です。
目白のブックギャラリーポポタムにて。会期は6/8(金)-6/17(日)。
6/9(土)には編著者の植朗子先生とのトークイベントもあります。
詳しくは画像のリンクより。
(DMデザインは本書の装丁を担当して下さったSu-の角谷さん)
 

 
2016年3月。まだ関西に移る前。
絵本の原画展を除けば人生2度目の個展『エロスとメビウス』を開催したのが同じくポポタム。
この個展で僕は初めて意識的に“神話”をテーマに扱った。
以前より、自分の絵を「神話のよう」と評する声は聞いていたけれど、
興味をもつ直接のきっかけは中沢新一の『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) 』(講談社選書メチエ)を
読んだことだろう。
僕が絵でやろうとしていることが、
遥か昔より神話というかたちをとって存在していることを知り、ひとり震えた。
振り返れば当たり前過ぎる事実なのだけど、
それは本当に景色が変わるような出来事だった。
 
神話をテーマに個展をつくるということに関しては、
そのスケールの大きさに敵わずなし崩しのまま終わってしまったけれど、
当時の驚きがこうしてひとつの形になって再びポポタムでお披露目できることをとても嬉しく思う。
 
21点の全原画を展示します。販売用の描き下ろしも用意しています。
どうぞ見に来て下さい。

本棚と絵

先週末の土日は共に在廊日でした。
土曜日は『はじまりが見える世界の神話』原画展 大阪は豊中のblackbird booksにて。
こちらは残すところあと5日。今週末は花店noteの開催日で生花の販売もあります。
27日(日)の最終日はお昼頃から在廊します。どうぞ駆け込んで下さい。
 
6/2(土)のnakabanさんとのトークイベントも残席わずかだそう。
(*僕の展示は終了して、nakabanさんの展示期間中の開催です)
僕自身、絵の道において特に目標としている人はいないのですが、
ああいうふうに仕事ができたらなぁ、と同時代で唯一憧れているのがnakabanさんなのです。
僕にとっても貴重な機会。ぜひ楽しみにしていただけたら。
 

 

 
 
日曜日は『みずのこどもたち』原画展 / あたたかい水 名古屋のON READINGにて在廊でした。
こちらは6/4(月)まで。残りの在廊日は6/3(日)を予定しています。
初めての町で少し緊張しながらの在廊ですが、もし見かけたらぜひ声をかけて下さい。
 

 

 
 
在廊というのは、少し、いや、いつもなかなか大変で、
お客さん来ないかな、とか
来たら来たで、声かけようかどうしようか、とか、
とにかくハラハラしながらお店の本棚を何周も何周も眺めてその数時間をやり過ごしている。
こうやってやり過ごすことができるのが本屋の展示の良いところだけれど、
もちろん居心地の良さの本当の理由は別にあって…
 
これは僕だけが感じることかもしれないけれど、
僕の絵に限って言えば、壁に絵がそれだけであるよりも、
本棚に囲まれたときのほうが絵が空間に馴染んでいるように見える。
 
本は時を内包した種子のように。
本棚は過去に根を張った木々のように。
時を行き交うのが本であり書店であり、
そういう場所と僕の描く絵はとても相性が良いように思う。
そんなことを書きながら自分のアトリエを振り返れば、
低く作った本棚の上の壁にはいつも描きかけの絵がぶらさがっていて、
どうりで仲が良いわけだとひとり納得した次第です。
 
 
在廊中、繰り返し本棚を見ていると、
さっきまで目に入らなかった本にふいに呼ばれることがある。
先日はblackbird booksで、河口慧海という人が書いた
『チベット旅行記』(旺文社文庫)という本に呼ばれた。
明治32年に仏教の原典を探すため、日本人として初めて秘境チベットに潜入した
僧侶によるルポタージュらしい。
たまたま開いたページには、極寒の中、体に油を塗り川を渡る描写が。
積読ばかり捗る今、こうしてまた長編が1冊我が本棚に仲間入りした。
読み終えた頃には感想でも書きましょう。
いったいいつになるかは知らない。あれも読まなきゃだし、あっちもまだ読んでいないし。
 
ON READINGにはイヌイットのフォークアートの良い本があったなあ。
この前は我慢したけれど、次に行ったときにまだ残っていたら買ってしまうだろう。
本を買うのがやめられません。

Where are you running from


 
本日より名古屋はON READINGにて展示が始まっています。
『みずのこどもたち』原画展 / あたたかい水
全国巡回をはじめたのがちょうど去年の5月。1年で10箇所を廻り、ここで11箇所目。
月曜日に自分で設営して来ましたが、なかなか気持ちよく収まったと思います。
会期は6/3まで。僕は20日と6月3日の日曜日に在廊します。
ぜひ遊びにいらして下さい。
 
 
展示タイトルの「あたたかい水」は体の中を流れる水をイメージしてつけたもの。
これは絵本『みずのこどもたち』を作った最初のきっかけに由来します。
 
数年前のある雨の日。
陰鬱な気分でアルバイトに向かう途中、
イヤホンでDaniel Johnstonを聴いていました。
駅を出て傘を差したとき、丁度流れてきた曲は『Running Water』
 
“Running Water
Running Water
Where are you running from
You always seem to be on the run”

 
その瞬間、傘に落ちた雨粒が、
傘を通り越して自分の体の中を通り抜けていくような感覚に襲われました。
 
僕は元来とても鈍感な人間で、
正直に言えば、絵を描くにあたって多くの場合は
それ程強烈なインスピレーションがあって描き始めるわけではありません。
 
でも、本当に稀に、何の前触れもなくこんなことが起こります。
 
体の中を感じる行為は決して閉じた行為ではなく、
むしろ内がひっくり返って外との境がなくなるところにこそ面白さがあります。
人間は大きく見ればただの”管”だと生物学の本で読んだことがありますが、
草も木も、人も動物も、そして大地も、みんな水が流れていることを思えば、
それ程違いがないような気もしてきます。
 
僕の中に流れるあたたかい水はいずれ僕を通り抜けて
そのまま誰かを潤すのでしょう。
みんな通り抜けていく。水も。風も。光も。生も。死も。
そう思うだけで、僕は何だかふわふわと体が軽くなる気がして、
こういうことをやりたい(描きたい)んだよなぁと、改めて思うのです。

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