2018.6.30
松本簡単日記② と「こどもたちよどこへゆく」について


夕方から続く大雨と雷が止まない深夜の神戸。
雨が弱まるたびに猫の鳴き声が聞こえる。
先週末は再び松本に滞在してきました。
『みずのこどもたち』原画展 / こどもたちよ どこへゆく
残すところあと2日。この日曜日でおしまいです。
終わる前に2度目の滞在日記を書いておかなければ。
23日(土)大阪発の夜行バス。運転が荒い。旅のお供は田我流とPharaoh Sanders。
出発して間もなく、何か光る大きな建造物が目の端を過ぎたのに気付き振り返ると、
それは太陽の塔だった。光の出所はその目だった。
夜の太陽の塔を初めて見たが、異様で美しかった。
もし今の時代、あのような国家プロジェクトがあったとして、
岡本太郎に代わってそれを担うのはいったい誰なんだろうと、
バスに揺られながら眠い頭でぼんやり考えた。
結局誰一人思いつかなかった。
翌朝6時前に松本到着。30分早い到着。快晴。
喫茶店が開くまで歩いて時間をつぶす。
パルコの玄関の池に鯉が泳ぐ。ちょっとした隙間に見る城下町的風景。
古くて素敵な布団屋。「帰ってくる場所をつくるためにマイ座布団を持て」との広告。
7時。「珈琲美学アベ」にて朝食。古い。落ち着く。
コーヒーカップを持ち上げると下のソーサーに文字が。
「悪魔のように黒く恋のように甘いコーヒーを」
まだ8時すぎ。川沿いを散歩する。
神社にお参りした後、境内の近くで既に開いている古道具屋というよりジャンクショップ。
レコードを見ていると、やさしい店主のおじさんが蓄音機を掘り出して聴かせてくれた。
慣れた手つきでネジを巻くと、びっくりする程張りのある音量で歌謡曲が流れる。
電気が無くても音が鳴ることに感動。南部鉄器の鉄瓶を買う。800円まけてくれる。
栞日在廊。再び『つぎはぎ仏教入門』を片手に。窓から良い風が入る。
扇子屋のvent de moeさんと再会。今日から1階のスペースで展示が始まり、
在廊ついでに旦那さんとお子さんと一緒に見に来て下さった。
先月on readingで展示をしたときにもちょうど隣のギャラリーで展示をされていて、
その際、また松本でもかぶりますね、奇遇ですね、と話していた。
moeさんもブックデザイナーの旦那さんも、まだ絵を買ったことがないから買ってみたいと、
良い機会かもしれないと話して下さった。
この間のポポタムでもそうだったけど、僕の展示では本当にこういうことが少なくない。
価格も大きな理由だろうけれど、本の側で絵を飾っているせいもあると思う。
本を買う延長線上に、絵を買うという行為を置くことができると以前より考えている。
それは生活雑貨を買う延長線上とは少し違う。
どちらが正しいと言うわけではないかもしれないが、僕は前者のような買い方に面白味を感じる。
本・中川へ移動。
お店のお客さんが代わる代わる訪ねて来て、皆丁寧に見てくれる。
本・中川の展示は今までの中でもかなり本と絵が近い。
でも不思議と窮屈に見えないのは、きっと相性が良いのだろう。
絵が気持ち良さそうに呼吸をしている。
この日のBGMはアフリカのホピ族の音楽。
ウォータードラムというものがあって、
川で洗濯をしているお母さんたちが川の水をたたきながら歌を歌っているのだそう。
美しい光景が目に浮かぶ。
旅行中のマルーさんがご来店。初めてお会いできた。
同業者の方との出会いは人より絵のほうが早い場合が圧倒的に多く、
大体はそのギャップにびっくりする。
マルーさんの絵は可愛らしくもアンバランスな激しさがあって、
どんな人がずっと気になっていたのだけれど、本人はいたって謙虚でまろやかな人でした。
人がひける隙間で棚を物色。
ささめやさんが絵を描いた「幻燈サーカス」というとんでもない絵本に出会う。
祖父江さんのデザインがはまっている。中川さんの蔵書だったそう。ありがたく購入。
いつも金沢のオヨヨ書林の展示に来てくれるNちゃんが富山から来てくれる。
車で3時間だと。東京からと同じくらいか。長野は真ん中なんだ。面白い立地。
それでも3時間も運転して見に来てくれるのは嬉しい。いつもありがとう。
閉店後は中川さんのご友人たちと「チャイナスパイス食堂」へ。通称チャイスパ。
店名そのまま、スパイスをふんだんに使った中華。べらぼうにおいしかった。
ゲストハウス1泊。
翌日は観光。上高地まで足を伸ばし、久しぶりに野を歩く。
松本に戻って銭湯行って蕎麦食べて、
エオンタというジャズ喫茶でジャズを聴いてからバスで帰路につく。
こうして振り返ると、また色んな人に出会ったなぁ。
原画展で訪れた町で、ここ松本と熊本は格別だった。
また新しい絵が描けたら持ってこよう。
最後に、展示の副題「こどもたちよどこへゆく」に少しだけ触れておく。
以前より絵を通して“普遍性”に触れたいという思いがあった。
そのためにルーツを遡ることで何かが見つかるのではと思っていた時期があった。
でもひょんなきっかけで、“普遍性”というものは流れの中にあるのだと直感し、
そこから水をテーマに選んだ。
今降り続ける雨も、どこかからきてどこかへ向かう。
絵も他ではない。
仏教に「諸法無我」という言葉がある。
「移ろいゆくあらゆる事物には、永遠普遍の真実などない」という意味だそう。
1年以上に及んだ巡回展もフィナーレを迎える今、
過去の自分が描いた絵に向かって「これからどこへゆく」と尋ねたい気分がある。
気分で副題をつけてしまったわけだけど、この気分は何だかしばらく続きそうな予感がしている。
どうやら僕の場合、絵というものは「答え」ではなく「問い」の中からしか生まれないみたいなので、
こうして右往左往し続けるしか道がないのはもう重々承知なのだが、
そもそも上にあげた「諸法無我」は“執着”を捨てて覚りを開くための思想であって、
執拗に絵を(絵で)問いつめる絵描きとはどんな業を背負ってしまったのかと自嘲気味に思ったりもする。
これは昼寝する猫を眺めてても思うことなのだけれど。
話が逸れそうだ。いい加減終わろう。
『みずのこどもたち』原画展 / こどもたちよ どこへゆく
今週末は在廊で来ませんが、お近くの皆さん、どうぞよろしく。
photo : Kano Chihiro
2018.6.23
初めて絵を買う日

松本から東京へ戻り、
『はじまりが見える世界の神話』原画展の最終日をポポタムで見届けて、
それから神戸に帰りました。
個展を開けばいつも来てくれるお客さん、
絵本の読者で足を運んでくれた方々、
通なポポタムの常連さん、
お世話になっている編集者のみなさん、
告知を見かけて来てくれたご無沙汰だった友人、
フーテンの同級生、
そして今回の本をきっかけに初めて絵を見に来てくれた方、
みなさんどうもありがとうございました。
結局は自分のために絵を描いているのだけれど、
それだけでは満たされないものが確かにあって、
こうして展覧会を開くことでだいぶ自分は救われているのだと思う。
絵を描くことはどうしたって孤独な作業だけど、
きっと描きあがった絵そのものは孤独ではないのだ。
絵の周りに人が集って、話がふくらみ、絵に新たな意味と感触が宿る。
その瞬間に立ち会う絵描きは、既に半分観客になっている。
絵は時に画家の本質を浮き彫りにするけれど、
それでも作品を“分身”と言ったりするのは好きではない。
もっと独立したものであってほしい。
画家には画家のロジックがあっても、絵の中には絵のロジックがある。
そこがイコールでないほうが絵は魅力的になる。
nakabanさんがトークで話してくれた。
「例えば箱の絵を描くとして、その裏にネズミがいるかもしれないと思いながら描く。
実際ネズミを描かなくても、そう思うだけで絵は変わってくる。」
たぶん、絵を見る人はそのネズミの存在に気付くことはないかもしれない。
でも、代わりに別の何かを、その箱に、箱のまわりの空気に見ることができる。
画家のロジックと絵のロジックはこうして交差する。
植先生がトークで話してくれた。
「絵や芸術を見るとき、そこに“真実”があるかどうかをいつも見ている。」
無粋にも「その“真実”というものは何を指すのか?」と聞いてしまったけれど、
今思えばそんなものは口頭で伝えられるものではないのは明らかだ。
それぞれの芸術作品の中でしか掴めない“真実”があって、
それは作者にすら説明のつかないものなのだから。
大林さんが「良い展示だった」と言ってくれた。
僕もそう思う。久しぶりに手応えがあった。
絵がたくさん売れたわけではない。
ただ、若い人たちが絵を買ってくれたのが嬉しかった。
大人しそうな青年が「初めて絵を買います」と嬉しそうに話してくれた。
ちょうど展示終了間際だったので、その場で手渡した。
彼は少し大きな紙袋を小脇に抱えながら何度もお礼を言って帰って行った。
こうして僕の絵は彼の絵になった。
僕が見ることのできなかった“真実”をきっと彼は見つけてくれるだろう。
僕がいつも絵にタイトルをつけないのは、きっとこんな日のためだったのだと、
やっとわかった。
満ち足りた表情の彼を見送り、僕はとても良いことをした気持ちになった。
絵描きとは何とすばらしいお仕事か。心が熱かった。
彼にとって、今日が後に振り返りたくなるような特別な日になってくれたらと思った。
初めて絵を買う日が、誰にとっても特別な日であってくれたらと思った。
photo : Kano Chihiro
2018.6.23
松本簡単日記①

先週末は松本で始まった『みずのこどもたち』原画展 / こどもたちよ どこへゆくの搬入と在廊へ。
15日金曜日、バスで朝6時半に松本に着いて、7時からやっている栞日で朝ご飯を食べる。8時から設営。
疲れがピークに達しており、のろのろとしか動けない。休み休みしながらなんとか終える。
栞日のカレーで昼ご飯。少し元気になる。本・中川に移動。
徒歩30分程の道のりで、画材屋さんが3つもあった。
用水路の水がやたらきれいで、なんとニジマスが泳いでいた。「守り神なのでとらないで下さい」との看板。
小雨が降る中、町を囲む巨大な山々がすっと姿を見せる瞬間があって、息をのむ。
中川に到着後、閉店まで銭湯とレコ屋で時間をつぶす。レコードは収穫無し。
中川も無事搬入終了。旦那さんの手料理をいただきながら、音楽の話に花が咲く。
ウェイン・ショーターとサン・ラ。ミシシッピ・ジョン・ハート。
体調を気遣われて、もらったレッドブル2本。
ビジネスホテルで1泊。死んだように寝る。
16日土曜日、中川さんに自転車を借りて10時から栞日に在廊。
窓辺に腰を据えて、『つぎはぎ仏教入門』を読みながらお客さんを待つ。窓の外は墓地。
お店には朝から人が絶えない。県外の方も多くいらっしゃる。
ジャズダンサーの方と座禅や舞踏の話。
絵を描くにしても最後は体に頼ることになる。
どんな絵を描くにしても体だけは無視できない。
ご飯を食べそびれて、そば屋を横目に本・中川へ。
良質なジャズが流れる店内。
決して広いお店ではないけど、棚が見応えある。長居できるお店だ。
土取利行の『縄文の音』購入。
最後に黒猫のお客さんがおいでになって、閉店。
再び旦那さんの手料理にご相伴あずかり、21時のバスで東京へ。
松本東京間は3時間で3千円。こんなに近いなんて、東京に居た時は知らなかった。
効きすぎた空調に震えながら新宿に到着。
無事兄宅まで帰り着き、最初の松本遠征はこれにて終了。
24日の日曜日にもう一度松本に滞在します。
10時〜14時過ぎまで栞日に、14時半〜19時まで本・中川に在廊予定。
少し距離がありますが、お散歩ついでにハシゴしていただけたら。
家人が写真を撮っているせいか、あまり写真を撮る習慣が無い。
今回もすっかり松本の写真を撮り忘れたので、関係のないドローイングを引っ張って来た。
次回は少し撮ってこようかと思ったけれど、
旅先では携帯を構える気になれないから、たぶん無理だろう。
でも、松本は本当に良い町でした。
人間のスケールではなく、自然のスケールの中で人が寄り添って暮らしているみたい。
それ程山が圧倒的なんだろう。
あれが神様だって言われても、誰一人笑わないくらいに。
2018.6.6
東京巡回始まります/ポポタムの大林さん

『はじまりが見える世界の神話』原画展
東京は目白のブックギャラリーポポタムにて明後日8日(金)より始まります。
8、9、10、17日は終日在廊予定。(展示は17日まで)
6/9(土)は19時より編著者の植朗子さんとのトークイベント。
ギャラリーで神話の話を聴くというのはなかなか貴重な機会かと。
お気軽にぜひ。
本日無事描き下ろしの油彩を発送して、
これを書いた後夜行で東京に向かい、明日朝一で搬入作業。
ギャラリーで午前中の荷物を受け取らなければならないので、
明日は燕湯での朝風呂は我慢しなければいけない。
燕湯は朝6時からやっている御徒町の古い銭湯で、
バスで東京に着いた朝はほぼ毎回お世話になっている。
お風呂上がりで時間があれば近くの喫茶店でモーニングを食べ、
さらに時間があれば上野公園を抜けて谷中霊園を歩く。
まさに朝に洗われるような、それはそれは気持ちのよい時間なのだ。
明日はしょうがないと諦めつつ、搬入後に行ける銭湯を今検索している。
訪れたことの無い西荻の銭湯に目星をつける。
最近はレコード屋と銭湯があれば何処の街へ遊びにいっても困らないことがわかった。
夕方に楽しみはとっておくことにして、とにかく朝はポポタムへ急ぐ。
ポポタムでの展示は関西に移る前の2015年、
当時まだ私家版だった『みち』の原画展をやらせてもらったのが最初だ。
きっかけは当時知り合ったばかりのiTohenの鰺坂さんや野分編集室の筒井さん始め、
『みち』を見て下さった色々な方に「ポポタムには行った?」と言われたことだ。
インディペンデントな本を作っているならまずはポポタムへ行け、
たぶんそんな意味だったと思うけど、どうして皆がそれ程口を揃えて言うのか
不思議に思ったのを覚えている。
うだるような7月のある日、『みち』の大きな原画と納品用の分厚い私家版を10冊抱え、
滝のような汗を流しながらお店に伺った。
迎えてくれた大林さんをその原画を見てすぐにこう言った。
「この原画、まだ見せてないの?もったいないなぁ。うちでやろうか!」
『みち』の原画は前の冬にSUNNY BOY BOOKSが僕の初めての原画展を開いてくれた際、
ほんの数枚だけ見せたことがあった。
ただ、もう一度どこか広い場所でやりたいと思っていた僕にとって、
これ程嬉しい言葉はなかった。
2ヶ月後の9月、展示と展示の隙間を利用して1週間だけ『みち』原画展は開催された。
その年の8月にはiTohenで初めての個展も経験し、何かが少しずつ動き出しているのを実感していた。
ちょうどその夏は安保法制の国会前のデモに足蹴く通っていた時期で、
既存の価値観とは別の、新しいものを模索したい気分が自分の中にあった。
このタイミングで続けて展示ができたことは、少なからず未来への希望に繋がった。
絵で食べていくことについて真剣に考え始めたのはこの頃だ。
ポポタムは書店スペースとギャラリースペースのちょうど間にカウンターがあって、
大林さんはいつもそこに座っている。
僕はその横のギャラリーの入り口に腰をかけ、
BGM用のCDを物色しながら大林さんとお話をするのが好きだ。
大林さんは音楽や本だけでなく、政治や教育についても全く同じレベルで話をする。
いつも小さな個人に関心を持ち、大きく不寛容な社会に疑問を呈する。
そして同じように戦う人達、しかもかっこよく、面白く戦う人達の本をお店に並べる。
そう、大林さんはロックだ。ポポタムはロックだ。
もうバスに乗る時間が迫って来た。
まとまらないけど、これで終わります。
大林さんと何のお話ができるか、今回も楽しみです。
もちろん、お越しいただいた皆様とのお話も。
それでは会場でお待ちしています。
2018.6.2
6月の予定/音楽に救われる日々
6月の予定のまとめ。
◉明日は6/2(土)はblackbird booksにてnakabanさんとのトークイベント、
「もし絵が言葉であるとしたら」。おかげ様で満席だそう。
どうもありがとうございます。存分に楽しもう。
◉明後日6/3(日)は名古屋ON READINGにて『みずのこどもたち』原画展 / あたたかい水、在廊日。
12時~19時で在廊します。展示自体は6/4(月)まで。駆け込みお待ちしております。
◉来週6/8(金)より東京目白のブックギャラリーポポタムにて『はじまりが見える世界の神話』原画展。
こちらは6/17(日)まで。短めなのでご注意下さい。8、9、10、17日の終日在廊予定です。
6/9(土)は19時より本書の編著者で神話研究者の植朗子さんとのトークイベント。絶賛予約受付中。
◉6/15(土)より長野は松本にて『みずのこどもたち』原画展 / こどもたちよ どこへゆく。
こちらは本・中川と栞日の2店鋪にて同時開催です。はしごしてもらえたら嬉しいです。
◉6/23(木)は大阪iTohenにて月1の昼の学校「絵本創作教室」&夜の学校「デッサン教室」の開校日。
どちらも初心者大歓迎です。気軽に絵を描く機会になれば。ぜひ一度覗きに来て下さい。
各地で展示が続きますが、これも夏まで。
そのあとしばらくは落ち着いて制作に励みたいと思っています。
それぞれお近くの方、この機会にぜひ。

ここ数週間は展示に向けて描き下ろし作品をせっせと描いている。
そして中島みゆきをひたすら聴いている。
先日、和歌山で立ち寄ったレコード屋で『寒水魚』を買い、
中島みゆきの歌はレコードで聴くものだなぁとつくづく思っていたところ、
そこから妙な火がついて、古いのを中心にずっと流しながら描いている。
とても勇気づけられる。
もちろん、歌詞のせいも多分にあるだろうけど、
それ以上に同じ作り手として羨望を感じるようになった。
情熱をこめて作り込んだ先に、フィクションがフィクションでなくなる瞬間がやってくる。
これこそ目指すべきかたちだ。
「時代」は随分若い頃の曲だと最近知った。
ファーストアルバムに入っていることを知りつつ、何だか及びもしなかった。
いったいどんな頭で何を考えているのだろう。
彼女のインタビューをぜひ読んでみたい。
展示が近くなると本が読めなくなる。
時間が無いからというより、気持ちに余裕がなくなってしまう。
だから余計に音楽に救われる。
『みずのこどもたち』はきっかけこそDaniel Johnstonだったけれど、
描いている間はずっと宇多田ヒカルを聴いていた。「beautiful world」がお気に入りだった。
『めざめる』ではWayne Shorterの『The All Seeing Eye』の混沌さに身を預け、
『はじまりが見える世界の神話』ではOMSBのビートが絵の鼓動になった。
『みち』はもう描いてから4年も経つので、そのとき何を聴いていたかよく覚えていない。
きっと何かが流れていただろう。そしてその音楽を大切に感じていただろう。
音楽という表現に嫉妬したこともあったけれど、
最近は絵にしかできないことがあると薄々わかってきたので、
それももう無くなった。
残るはただ愛おしさだけだ。